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追跡の巨人




充実した一夜を過ごし、撤収を終えた後。

そのまま帰宅してゆっくりしようかと話していたが、

Hが、ちょうど札幌に戻るルート上に

一箇所チェックしたいポイントがあると言う。

ここ数日で鹿三頭を獲っていた私は

しばらく肉は必要ないが、

Hの狩りに同行することとした。



ポイントに着き、未舗装の林道に入る。

Hが助手席に乗り、私がハンドルを握る。

鹿の痕跡が濃いという前情報に反して

足跡は殆ど無い。

数キロを走り、林道の突き当たりに到達するが

新しいと思われる足跡は

二箇所でしか見られなかった。



あまり期待はできないが、

その内の一つをHは追いたいと言う。



足跡は山を登る方向に向かっている。

早朝に草地で腹を満たした鹿は

今頃はもう標高の高い場所に戻り、

寝屋で休んでいるはずなので

そこを狙いたいとのこと。

昨日からの冷え込みもあり

鹿は日の当たる側の斜面にいるだろうとの読み。

妥当な作戦だ。



無線の感度と地形図を確認し、

「普通に歩いて一時間のコースだと思います。」

と言い残し、

Hは獣道に沿って稜線を上がって行った。



トレイルランの大会などにも出場しているH。

190cm近い日本人離れした体格の持ち主で

疲れを知らず、他の人が躊躇するようなルートにも

平然と入って行く体力と胆力は、

私が所属する狩猟団体の中でも一目置かれた存在だ。



私は車を林道の出口に回して待機。

待機といえば聞こえはいいが、

エアコンの効いた車内でパソコンを取り出し、

記憶が鮮明なうちにと

昨日の出来事などを記録していた。





しばらくしてHから無線連絡が入る。

「撃ったけれど走られました。

 微かな血痕があるので追いかけます。」

一発で仕留められずに逃げられてしまう、

半矢と呼ばれる状態だ。



「気の済むまで追いかけて、頑張って!」

とエールを送る。



頸椎や頭部を射抜かない限り

鹿がその場で倒れることはない。

心臓に弾が入っても、

時に何百メートルも走られる。

致命傷を負っていても

到底人間が追いつけるスピードではない。



また、内臓に弾が入っていれば

血は大量に出ていることが多いし

血の色もどす黒い。



内心、Hの言葉のニュアンスから、

弾は内臓に入っておらず

どこかの筋肉に当たっただけで、

逃げ切られる可能性が高いのではと

思っていた。



しかし半矢にした鹿を徹底的に追うという姿勢は

ハンターとしての基本であり、

そのモチベーションを下げることはあってはならない。



先輩に猟に連れていっていただいた時、

私が撃って逃げられた血痕を見て

「これじゃ追っても無駄だ、次に行くぞ。」

と有無を言わせずに車に戻されることが何度かあった。

そのまま鹿が息絶えたら

ただの無駄死にになってしまうのに、

もしかしたら追いつけるかもしれないのに、と

とても悔しく納得のいかない体験をしたことがある。

その悔しさをHに味わわせたくはないし

Hの脚力なら追いつく可能性もゼロではないと思った。



これは時間がかかるな、と思い、

夕方に入れようと考えていた予定を組み直す。



再びHから連絡が入る。

「鹿がどんどん下に降りて林道に出そうです。」



通常、手負いの獣は追跡を振り切ろうと、

急な崖を登り稜線の反対側に逃げるなど

厳しいコースをとるのが常だ。

しかしこの鹿は斜面を下っていると言う。

もしかすると血痕の薄さにもかかわらず

相当に体力を消耗している状態なのかもしれない。



Hが言っていた方向に車を走らせる。

一往復してみたが鹿の姿は無く

血痕も見当たらない。

林道の出口に車を戻す。



Hが林道に出たと聞き、

再び林道を進みHと合流。

私自身はここで初めて血痕を目にする。

鮮やかな色の血が一滴、また一滴と

間隔を開けて落ちている。

とても致命傷の出血には見えない。

しかし鹿は下へ下へと降り、

Hはたまその姿を見えるところまで追い付きながら

ここまで来たのだ。

どういう状況なのだろうか。



更に血痕を追って沢に降りるH。

下へ逃げているなら

いずれは林道の出口付近に姿を現すかもしれないと

私はまた車を戻すことにした。



途中、少し見晴らしの良い場所があり

車を止めた。

沢筋を見渡していると、

突如、足を引きずりながら

猛然と走るオスジカが現れた。

Hが追っていたのはこの鹿に違いない。



沢越しに距離は100m程だろうか。

早くとどめを刺さねば。

銃を出して車を降り

弾を込めてスコープを覗いた瞬間、

鹿は曲がりくねった沢に沿って走り去り

姿を見失った。



あの慌てた走り方は

明らかにHを目視して逃げようと

必死になっているとしか思えない。

しかし私は車で走ってここまで来た。

いくら健脚のHであっても、

沢を渡り、藪を漕ぎ、

鹿のすぐ後ろまで迫っているとは考えられない。



一体なぜ鹿はあそこまで怯えていたのだろうかと

疑問に思いながら車に戻り、

すぐにHに無線で鹿の位置を伝える。

詳しく説明しようとしていると、

驚いた事にHが視界に入って来た。

後で聞いたところ、

藪が開けた所は全力で走って来たと言う。



「鹿は沢を再び渡って逃げているかもしれないが、

 曲がり角の陰にまだ隠れている可能性も高い。

 気を付けてゆっくり覗いてみて。」

と伝える。



Hが銃を肩から下ろし、慎重に歩き始める。

私は曲がり角の先が見えないかと

少しだけ車を前に出し、

固唾を飲んでHの動きを見守る。



そしてHが沢のカーブを曲がった瞬間、

再び鹿が飛び出た。

やはり、曲がり角を曲がってすぐの所で

息を潜めていたのだ。


必死に沢を渡っていく手負いの鹿。

銃声が響き渡り、

土手を上がる手前で動かなくなった。



鹿を撃ったという最初の一報から一時間半。



道無き道をひた走り、

Hは遂に鹿に追いつき

とどめを刺した。





私も自分の解体道具を背負い

藪を漕いで応援に駆けつける。



現場に着いた時には

Hは既に鹿の腹を割り

内臓の摘出を終えていた。



4歳ほどのオスジカ。

初弾が当たったのは右の腿だった。

左の大腿骨が完全に折れて

その下は腱だけで繋がってはいるが

ブラブラの状態だ。

鋭く尖った骨の先端が

思い切り筋肉を突き破って露出し、

そこが泥にまみれている。



Hが言うには、途中から少し

雪に落ちている血の量が増えたとのこと。



きっと最初は骨折と銃弾の外傷だったものが、

逃走を続ける内に

斜めに砕けた骨の断面が筋肉を突き破り、

より重症化して出血量が増えたのではないかと思う。



ドロドロに汚れた傷口から見て、

鹿は何度も転び、

傷口は地面に叩きつけられたに違いない。



そんな状態でよくぞここまで逃げた。

もし私がその立場にあったら、

あっさりと死を覚悟し逃げることをやめるだろう。

本当に尊敬に値する。



人間は狩る者、鹿は狩られる者。

人間は強者、鹿は弱者、の筈だが

その圧倒的な体力と執念に

捕獲した喜びよりも敗北感を覚えた。



この想像を絶する苦しみを鹿に与えないため、

私たちは一発で

鹿をその場に沈めなくてはならない。



また、逃げる鹿を長距離に渡って追いかければ

自分自身も体力を消耗し、

滑落などの事故の可能性も増大する。



半矢はあってはならないこと。

半矢にするくらいなら

最初から撃つべきではない。



しかし、どれだけ好条件で撃っても

外す時は外す。

狩猟に100%確実、

という状況は存在しないのだ。



Hが初弾で鹿を仕留められなかったことは

褒められた事ではないし、

本人も深く反省している。

しかし、通常のハンターなら

追跡を諦めるような僅かな血痕を

1時間半に渡り追い続けた彼の根性は賞賛に値する。



私も彼の行動に、思わず襟を正すと共に

あんな僅かな血痕であっても

鹿に追い付き仕留められることを

改めて学ばせていただいた。



クリーンキルで鹿を苦しませないことが大事だが

失敗や泥臭い体験からこそ学べることも多い。


Hと私の心に、

深く刻まれた捕獲となった。





さて、この一週間。

夏に取れなかったお盆休みが延び延びになり、

仕事が一段落してようやく取得した

まとまった休暇だった。



ヒグマを追いかけ、

仕留めることはできなかったが

熊が埋めた鹿の土饅頭や

更には熊の死骸にも出会い、

雌鹿を撃って解体中に胎児と対面し、

車ごと森に転落し九死に一生を得、

翌日には新しい車でオホーツクまで出向いて

今迄で最大のオスジカを仕留め、

−6℃の夜をタープを張るだけで

焚き火の側で明かし、

色々なことを鹿や友から学んだ。



コロナのせいでカナダには行けず

インディアンの師匠を訪ねることは叶わなかったが、

自分が自分の人生を「本当に生きている」と実感できる

濃厚で充実した一週間だった。



北海道の大地、

そこに生きる熊や鹿、

かけがえのない仲間達、

そして奇跡のような出会いの数々に

心からの感謝を捧げると共に

この一週間から得た経験や学びを生かし、

これからも自分の夢を追いかけていきたい。



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