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理想と現実




北海道に移り住んで半年が経った。

集落にハンターが引越してきたことは

多分ほとんどの人が知っているだろう。

地元の方々との関係性も徐々に深まってきた。



中でもMさんは特別な存在だ。

薪にするための木を敷地の中で切らせていただいたり、

美味しい料理を分けて下さったり、

とてもお世話になっている。

植物や野鳥など地域の自然に関する知識は

集落の中でも群を抜いていて、

本当に勉強になる。

遠くからわざわざ会いに来る人達もいる程だ。






そのMさんが、鹿に困っているという話を聞いた。

Mさんに連絡してみると、

希少な植物を保護しているエリアに

鹿の親子が入っていくのを目撃し、

気に病んでいらっしゃると言う。

いつもなら、すぐに直接連絡を下さると思うのだが、

その日に僕の母が他界したことをご存知で

連絡を控えていたようだ。


以前からMさんは、

鹿が様々な草花を手当たり次第に食べてしまい

地域の植生が大きく変わってきたと嘆いていらした。


いつもお世話になっているMさんのご恩に

少しでも報いたい。

大晦日に亡くなった母の火葬は、1月2日。

元旦であれば動ける。

それでも良ければ、是非様子を見に行かせて下さい、

と申し上げた。



   ❊



2024年1月1日。

夜明け前にMさんのお宅に伺った。

鹿が出たポイントを教えていただく。

うっすらと明るくなってきた敷地を

双眼鏡でチェックすると、

3頭の鹿が確認できた。



車に戻って銃や装備の準備を整え、

日の出と共に歩き出す。

その途端に気付かれて警戒音を出される。

駐車場は敷地から丸見えなので

仕方がないとも言える。



林の中に入ると、

僕は歩く速度を大幅に落とした。

ほぼ、静止しているようなものだ。

この日はほとんど風が無い。

動けば足音が響き渡る。

遠くの枝が騒めいて

風が近付いてくるのを見計らい、

あたりの笹藪が揺れている間に2、3歩進む。

次の風が吹くまでは動けない。



ようやく鹿の群れを見つけたが

案の定、すぐに鳴かれる。

しかしその中で1頭だけ、

僕を見ていないものがいた。

仲間が何に対して警戒しているのか

分かっていないようだ。

その1頭の死角に入ってノロノロと進む。

最近は国会でもあまり見ることのなくなった

牛歩戦術。

国会での牛歩は単なる嫌がらせに過ぎないが、

狩猟での牛歩は真剣勝負そのものだ。

しかし僕の動きを見ていた別の個体が逃げ始め、

つられて狙っていた鹿も走り去ってしまった。






落胆していても仕方がない。

冷え切った体を温めようと斜面を登る。

途中、山の端から太陽が顔を出した。

初日の出を猟場で拝むことができるなど、

ハンター冥利に尽きる。



Mさんの敷地を歩くのは初めてなので

地形をきちんと把握したい。

今日獲れなくても今後に繋がるはずだ。

稜線から斜面を見下ろすようにして進んだ。



草を食べそうな開けた場所や

大雪の際にシェルターとして使いそうな針葉樹の木立など、

ポイントを頭に叩き込む。



小さな尾根筋を越えたところで

鹿の白い尻尾が見えた。

一旦身を伏せ、

息が落ち着いたところで頭をそっと上げる。



こちらに気付かないままに草を食べている鹿。

よく見ると、周囲にも鹿がいるのに気付いた。

合計4頭。

どれも僕を意識してはいない。

距離は50〜60メートル。

絶好のチャンスだ。



背負っていたザックを下ろし、

地面に横になる。

ザックの上に銃を置いて安定させる。

目線が低くなるため、

藪が邪魔で鹿が見えない。

静かにザックを前に押し出しながらの匍匐前進。

幸い鹿たちは皆、食事に夢中だ。

遂にスコープに鹿が入った。

倍率を最大の12倍まで上げ、

頭のすぐ下の頚椎を精密に狙い込む。

大きく吸った息を半分吐き、

そこで止める。

ゆっくりと人差し指を絞ると

鹿はもんどり打ってその場に倒れた。



すぐに駆け寄る。

ナイフを首元に入れて血を抜く。

お湯のようにもうもうと湯気を立てながら

噴出する鮮血。

いい肉になることを確信し、安堵した。






気付くと、

逃げた鹿たちの警戒音が響いていた。

あまり遠くまでは行っていない。

どこから撃たれたのかが把握できず、

どの方向に逃げたら良いのかが分からないのだろう。



普段僕は

それなりに山奥で鹿を獲るので

1頭しか撃たない。

しかしこの日は

車からの距離は遠くないし、

時間もまだ早い。



しかも、お世話になっているMさんからは

「少しでも敷地の鹿を減らしてほしい」

とお願いされている。



悩んだ時間は数秒だったような気がする。

僕は銃を持って斜面を越えた。






鹿はすぐ下にいた。

一瞬で撃たないと逃げられる。

今度は首の根元、肩との付け根を狙った。

こうして、元旦から2頭の雌鹿を撃った。



   ❊



2頭目の血抜きを済ませると

まずは1頭目の解体に取り掛かった。



今期からは皮なめしを自分でやりたいと思っていた為、

皮剥ぎには思いの外時間が掛かった。

皮の内側にできるだけ肉や脂をつけないようにすると同時に

穴を開けるのは御法度だ。

しかも、自作のナイフは

スムースな止め刺しのために先端が尖ったデザインにしており

ちょっと気を抜くとすぐに皮を貫通してしまう。

それでもなんとか、綺麗に皮を剥ぐことができた。



首を撃っているので、

脚4本、肩ロースからサーロインまでの背骨周り、

バラに内蔵など、余すところなく肉を取ることができた。

そのまま2頭目を解体しても

2頭分の肉と毛皮を一気に持ち帰るのは無理だ。

まずは1頭目の肉を車まで運び、

すぐに2頭目の解体に戻った。






2頭目を見た瞬間、

複雑な気持ちとなった。

両目が抉られている。

カラスやトビに食べられてしまったのだ。

更には一番皮の薄い尻周りもつつかれ、

モモ肉の一部がダメージを受けていた。

戻るのが遅過ぎたのだ。



それでも、1頭目と同じく

丁寧に皮を剥ぎ、取れる肉は全て取った。



持ち帰った2頭の肉の一部は

Mさんに差し上げた。

Mさんはとても喜んで下さった。



後日、肉の味もとても良かったと聞いた。

たまたま来ていたお客さんにも振る舞ったところ

その方もとても気に入って下さり、

ご家族に持ち帰ったそうだ。

皆さんに美味しいと食べていただくことが

鹿への最大の供養だ。

僕は少し救われた気分になった。



   ❊



今回の狩猟は

以前と大きく違った点があった。

Mさんに頼まれて撃ったことだ。

自分の為の狩猟から

他の人の為の狩猟へ。

スタンスが変わった。



そして鹿を獲ったことを喜んでいただいた。

地域に貢献できるハンターになりたいと願ってきたが、

そのスタート地点に立たせていただいた気がした。






それと同時に、

2頭目の解体の時に抱え続けたモヤモヤを

拭い去ることができなかった。



僕は、肉を得るために狩猟をしている。

それは何があっても変わらない前提であり、

決して曲げてはならない鉄則だ。

ところが、

2頭目の解体は完璧ではなかった。

これでは猟師として失格だ。






なぜこんなことが起きてしまったのか。

考えてみれば、

今回の鹿撃ちは狩猟とも言えるが

駆除と呼ぶこともできる。

そこに原因がある気がした。



現時点では猟友会に所属していない僕は

駆除に携わったことはないし、

真剣に鹿を追う行為はこれまでと全く同じだった為、

この日も駆除という意識はなかった。



でも、なぜ2頭目を撃ったかというと

「少しでも多く鹿を減らす」

という意識があったからに他ならない。



駆除の目的は、対象となる動物の個体数を減らすことだ。

本気でそこに注力するなら

捕獲を優先する必要がある。

結果的に、解体に時間はかけらないケースもあるだろう。

現在、7割以上のエゾシカが産業廃棄物として

焼却処分などに回されるのもそれが原因かもしれない。






僕は今まで、

命を奪うからにはそれを最大限に有効活用し、

つまりは綺麗に解体して

きちんと食べるべきだと主張してきた。

しかしそれでは、僕は1日1頭しか撃てない。

肉をもらってくれる人がいればいいが、

自分で全て消費しようとすれば、

1年に撃てるのは数頭だけだ。

それでは、増え過ぎた鹿を減らすには

どう考えても足りない。

果たして僕は、

頭でっかちの理想主義者だったのだろうか。






会社勤めをしながら、週末ハンターとして

休みの日だけ鹿を撃ちに行き、

自分が獲りたい時に、獲りたい分だけ獲ってきた。

それに物足りなさを感じた為、

狩猟採集生活を実践したいと

会社を辞めてまで北海道に移住した。



その僕が今、直面しているのは

凄まじいばかりに増殖した鹿の現状だ。

夜になるとワラワラと出てきて道路を闊歩している。

交通事故の件数も増えるばかりだ。

僕自身も3ヶ月前、

ヘッドライトに飛び込んできた鹿を避けきれずに

撥ねてしまった。

鹿は起き上がって立ち去ったが、

フロントバンパーが凹み、ヘッドライトは割れ、

大きな損害を被った。



鹿や猪などのいわゆる有害鳥獣による農業被害は甚大で、

人的被害が深刻化する熊も指定管理鳥獣になることが決定した。

今、ハンターに求められているのは

そうした野生動物の個体数コントロールであることも確かだ。



駆除した個体を全て食肉に回すのは

食肉の衛生面を考えると不可能だし、

ジビエミートの需要規模から考えても厳しいだろう。



狩猟についてはこれまで色々と考えてきて

本まで書いた僕だが、

駆除については深く踏み込んでこなかった。

ある意味、逃げていたのかもしれない。



僕はこれまで駆除の必要性は認めてきたにもかかわらず、

駆除活動に参加しないのは

ハンターとしていかがなものか、と考えてしまう。



そんな僕が

「地域に貢献する猟師になりたい」などと発言するのが

そもそもおこがましいことなのだろうか。






かと言って、

「食べない鹿は撃たない」という主義は譲れない。

それは何万年にもわたって自然と共存してきた

狩猟採集民族が培ってきた理念だ。

その放棄は自然を侮辱することであり、

人類を破滅的な未来へと導くだろう。



   ❊



鹿を獲る、という行為は同じでも

狩猟と駆除はかくも違うものなのか。



狩猟が趣味だ、という人はいても

駆除が趣味という人はいない。



狩猟が好きだ、ということは許されても

駆除が好きだ、と言ったらバッシングを受けるだろう。



狩猟は、生き方であり、ロマンである。



駆除は、作業であり、割り切りである。






「一年の計は元旦にあり」と言う。



2024年の元旦、

僕は大きな課題をいただいたと思っている。

果たして結論が出る日は来るのだろうか。






理想と現実。



人は皆、

埋められないギャップに苦しみながら

その狭間でなんとか生きてゆくしかないのだ。





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