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清蔵とビル







“超人”と称される人は世に多かれど、

我が家のご近所に暮らす

清蔵さんを超える人はいないと思う。



昭和8年生まれの清蔵さんは、御年90歳。

僕の家から2キロほどのところに暮らしている。

たまに我が家を覗きに来てくれるのだが、

運転免許を持っていない清蔵さんは

颯爽と自転車を漕いでやって来る。



90歳で自転車を乗り回すなんてすごい、

と思うかもしれないが、驚くのはまだ早い。

清蔵さんは、地元では引っ張りだこの現役選手だ。

守備範囲は広く、

大工仕事全般、

電動工具や機械のメンテナンスに修理、

草刈りや庭木の剪定に、

なんと間伐の依頼までが舞い込む。

森に分け入って立木を伐採するなど

とても90歳のお年寄りがやることとは思えないが、

その仕事を請け負うために

清蔵さんは最近チェーンソーを新調した。

プロの林業家が使う、本気のマシンだ。



築50年以上が経つ拙宅のリフォームでは、

いつもお願いしている大工さんが来られない日に

キッチンの天井を張っていただいた。

脚立を2台立てて上段に足場板を渡し、

その上をヒョイヒョイ歩きながら

針葉樹合板をインパクトドライバーで止めてゆく。

壁や床と違い、天井を張るのは

重力に逆らわなくてはならないことから

体力的にも技術的にも難易度が高い。

それを90歳のご老公が、

たった一人で仕上げてしまった。



朝8時にはきっちりと仕事を始め、

作業中は無駄口を叩かず、

とにかく動き続ける。

自分で作ってきた弁当を12時に食べると、

板の間に直接ゴロリと横になって寝てしまう。

そして1時間後には目を覚まし、

また仕事に精を出す。



リフォームが素人の僕は

どのように作業を進めていいか分からず、

何かと迷走しがちだ。

憂鬱な気分で懸案事項について相談を持ちかけると、

「なんも。だいじょぶだ」

と力強く言うなり、すぐに解決に動き出してくれる。



清蔵さんの「だいじょぶだ」に

僕は何度、心を救われただろう。













つい先日は、リビングの外に張り出している、

コンクリートのポーチの修理をお願いした。

ひび割れて凹んでいるため、

雨水が溜まってしまうのだ。

僕が所用で外出している間に

清蔵さんは型枠を廃材だけで作り、

1日かからずに設置してくれた。









その2日後。

型枠の中にモルタルを流し込む作業は

僕も手伝わせていただいた。






モルタルはセメントと砂と水を練って作る。

この日用意したセメントは4袋。

1袋25キロなので、合計で100キロだ。

運ぶだけで息が切れるが、

清蔵さんが若かった頃は

セメントは50キロの袋でしか

売っていなかったそうだ。

それを左右の肩に2個ずつ乗せ

合計200キロを一度に運んでいたという。

小柄な体の、どこにそんな力を秘めていたのだろう。






セメントと砂の配分、混ぜ方のコツ、水の量など

清蔵さんのお手本通りに作業を進める。

清蔵さんは簡単そうにこなしているが、

いざ自分でやってみるとなると、

腕は張り、腰は痛み、大変な重労働だ。

それでも清蔵さんは

「疲れた」という言葉を一切発しない。

黙々と働き続けた結果、昼過ぎに作業は終了した。













清蔵さんと現場仕事をご一緒させていただくのは

他では得難い体験だが、

休憩時に、ぽつりぽつりと話してくださる昔の話も

僕にとって貴重な学びだ。



裕福でない家に育った清蔵さんは、

12歳のときから

近くの牛飼い小屋に丁稚奉公に出された。

労働時間は、なんと毎日、

午前5時から午後8時の

15時間にも及んだ。

特に辛かったのは、

牛に飲ませる水を、井戸から汲み上げる作業だ。

その地域は、地下水の水位が低く

井戸が深かったため、

強い圧をかけないと水は上がらない。

ポンプのレバーは清蔵少年が全体重をかけて

ようやく押せるほどだったそうだ。

四苦八苦して汲んだ水を、

牛は一度にバケツ2杯分ずつ空にしてしまう。

日々、数十頭の牛に

二度三度と水をあげるのは

「涙が出るほど辛かった」という。

米は滅多に食べられず、

薄い汁物に浮かぶ芋と南瓜が主食だ。

年端もゆかぬ少年にとって、

それはどんなに過酷な日々だったことか。

ところが清蔵さんは

「それでも俺は幸せだったわ。

なんせ、牛乳が飲めたからなあ」

と目を細める。



清蔵さんの話を聞くと、

今の自分がどれだけ恵まれているか、

抱える悩みがどれだけちっぽけなのかを

思い知らされる。



たくさんの苦労をした人は

些細なことに幸せを見出す達人となる。

大きな幸福や幸運を手に入れられないことを

不満に思いながら送る人生と、

身の回りの小さな出来事に

常に喜びを見出し続ける人生。

どちらが豊かなのかは、

自明の理と言えよう。













厳しい少年時代を送った清蔵さんは

40歳を前にして、

生まれ育った集落を後にした。

その地区が大規模な工業地帯として

開発されることが決まり、

全員が立ち退くこととなったのだ。

集落の住民たち全員に、

当時にしては破格の立ち退き料が支払われた。

多くの人たちがそのお金を使い

新たな事業を興すなど、

それぞれの新たな道を切り拓いた。


ところがその時、

清蔵さんが高額の現金を手にすることはなかった。

立ち退き料は土地の面積に比例して支払われのだが、

一族の所有地は狭かった。

更にそれを4人の兄弟で分配したところ、

大した金額にはならなかったのだ。

結局、清蔵さんは生涯を通じて

肉体労働に勤しむこととなり、

そのまま現在に至っている。



こうした状況を、

不運だと捉える人も多いのではないだろうか。

ところが清蔵さんは

全くそう思っていない。

慣れない事業経営に手を出して失敗し、

多額な借金を抱えることとなった隣人。

贅沢を楽しみすぎたからか成人病となり、

早くにこの世を去った知り合い。

彼らに比べて、

清蔵さんはお金には苦労したものの、

健康を維持し、

日々の労働に喜びを感じ、

未だに近所の人たちに頼りにされている。



一見ついていないと思えることが、

後々になって振り返ってみると

なんてラッキーなんだ、と思えることは

多々あるだろう。

「人生、何が幸いするか分からんもんだ」という言葉は

清蔵さんが発することで、更にその重みを増す。

目先のことに一喜一憂せず、

実直に歩み続ける大切さを教えて下さる

人生の先輩と出会えたことは、

僕にとって幸運以外の何ものでもない。



そして90歳のご老人が

福祉サービスの世話になるどころか、

反対に現役の労働力として社会的役割を担い

しっかりと地域に貢献しているという事実。

超高齢化社会を迎えようとしている日本にとって

こんな朗報はないだろう。

清蔵さんは

齢を重ねるほどに輝きを増す希望の星であり、

国家の宝だ。










午後3時。

時計を見た清蔵さんが、慌てて立ち上がる。

「おっと、ハルナに飯食わさねば」

ハルナは、清蔵さんの家の向かいに暮らす馬だ。

清蔵さんのお友達だった飼い主は、

残念ながら去年鬼籍に入られた。

今は毎日2回、清蔵さんがエサをあげて世話をしている。



いそいそと自転車に跨り

力強くペダルを踏みながら遠ざかってゆく後ろ姿は、

年をとってはいるが、老いてはいない。



僕はいつも

清蔵さんが角を曲がって見えなくなるまで、

ずっと眺めている。

見送ると言うよりは、見惚れている、

という表現の方がしっくりくるこの時間が

僕はたまらなく好きだ。



そして、

自転車の上でゆっくりと左右に揺れながら

遠ざかってゆくその背中は、

26年前に一度だけ会った、

あるご老人を彷彿とさせる。











1998年の冬。

僕はアラスカを旅していた。

目的は、憧れの写真家の軌跡を辿ることだった。

極北の情景や生きものを

美しい作品として残した、星野道夫。

1996年に、カムチャツカでヒグマに襲われ、

惜しまれながら43歳でこの世を去った。

星野道夫は名文筆家としても有名で、

僕は写真だけでなく、

彼が文章で紡ぎ出す世界観にも

魅了されていた。



代表作として知られるエッセイ集「旅をする木」の中で、

一章を割いて語られるお年寄りがいる。

星野のご近所に暮らしていた、ビル・フラー。

あらゆる職を転々としながらアラスカに辿り着き、

引退後はボランティアで

幼稚園の子供たち音楽を教えていた。



【何を話す目的がなくとも、今年七十五歳になるビルに、僕は時どきふっと会いたくなった。人間とは生きてゆく上で時どき励ましを必要とする生き物なら、僕は確実にその力をビルからもらっていた】



ビルは、いつも自転車に乗っている。

しかも気温−20℃までは、

裸足にサンダル履きといういで立ちだ。

自転車はビルのトレードマーク。

清蔵さんと一緒だ。



そして星野道夫が

なぜビルを慕っているのかについて、

彼はこう書いている。



【ぼくたちのヒーロー、ビル・フラーは、別に何を成し遂げた人でもない。何の肩書きがあるわけでもない。が、ビルは本物だった。いや、だからこそ真のヒーローなのかもしれない。彼を知る人々にとってだけの……】



どうだろう。

ビルと清蔵さんが重なって見える理由が、

お分かりいただけただろうか。










1998年の冬、

僕は、星野道夫の友人で犬橇家の

メアリー・シールズの家にホームステイをしていた。

観光客相手に犬橇体験ツアーを開催していたメアリーの連絡先を、

図書館で借りた旅行ガイドブックで見つけ、

ファックスを送った。

そして、犬橇を教えて欲しい、と頼み込んだのだ。



せっかくアラスカまで行くのだから

ビル・フラーにも会いたいと思っていたが、

さすがに何の手掛かりもなく、

連絡先を突き止めることはできなかった。

頼みの綱はメアリーしかいない。

図々しいと思われないか不安を抱えながらも、メアリーに

ビルに会いたいがどうしていいか分からない、

と相談したところ、

彼女はフェアバンクス市の電話帳を手渡してくれた。

僕は必死にBill Fullerの名前を探したが、

残念ながら見つけることはできなかった。

がっかりして電話帳をメアリーに返す。

ところがメアリーはお目当ての電話番号をすぐに探し当てた。

書かれていたのは、ウィリアム・フラーという名前。

BillがWilliamの短縮形であることを、

僕は知らなかった。



まずは、僕の代わりにメアリーが

ビルに電話をかけてくれることになった。

その頃、ビルがなかなか人に会おうとしないことを

知っていたからだ。

星野道夫の没後、彼が

「真のヒーロー」と呼ぶビルのもとを、

多くの星野ファンが訪れるようになった。

そうした状況にビルは疲れてしまい、

自分は特別な人間ではない、と

面会を拒絶するようになっていたのだ。

メアリーは、

会えるかどうかは全てビル次第なので期待しすぎないように、

と言いながら受話器を上げた。



生憎ビルは不在で

留守電にメッセージを入れたところ、

しばらくしてコールバックがあった。

日本から来た若者があなたに会いたがっている、と

メアリーは丁寧に僕のことを説明してくれた。

ビルの返答を聞いているメアリーが

満面の笑みで僕に頷きかける。

なんと、ビルが特別に会ってくれることになったのだ。



途中でメアリーが電話を代わってくれた。

緊張しながらも、

会ってもらえて本当に嬉しいと伝えると

「ワタシモデス」と日本語で答えてくれた。

ビルは60代後半になってから日本語を学び始め、

600以上もの漢字を覚えた勉強家だ。

溢れる好奇心と向上心がビルの真骨頂。

社会的知名度はなくても、

星野道夫が彼を尊敬していた理由はここにある。










僕が会いに行った日も、ビルは裸足だった。

質素なリビングには古ぼけたピアノとギターくらいしかなく、

中心には座卓と座椅子が置いてある。

アメリカではあまり見ないスタイルだ。

緑色のお茶を出してくれたので、緑茶かと尋ねると

「イイエ、ゲンマイチャデス」と教えてくれた。



立ち居振る舞いはゆったりとし、

常に柔らかく控え目な声で話す。

北海道から新潟までを自転車で旅した話には

思わず惹き込まれた。

利尻の花、山形の里山、佐渡の荒波。

僕の知らない日本の美を、

ビルは嬉々として語ってくれた。



2時間の滞在はあっという間で

僕は満ち足りた幸福感と共に

ビルの家を出た。

自分は特別な存在でもヒーローでもないと言う

彼の意思を尊重して

記念写真も撮らなかったが、

目が合っただけで

抱き締められたように感じるビルの笑顔は、

今も僕の心のフィルムにしっかりと焼き付いている。














ビルと清蔵さんの生き方は、

僕には重なって見える。

敢えて一言で表すなら、

清貧、という言葉がよく馴染む気がする。

欲少なく、心が清らかであるが故に、

生活は質素だ。

物質的な節約や苦労の先に

精神の自由と身軽さを見出す。

古来、日本人が

最上の美徳として尊んできた境地であると同時に、

現代社会で最もおざなりにされている思想だろう。



そして、

ビルから感じる包容力と

清蔵さんから漂う安心感は

深い清らかさという点でとても似ている。



名誉ある肩書きや、経済的な成功といった、

よく目立つ分かりやすい花を咲かせてはいない。

しかし彼らの言葉やまなざしは

見えない地中に深く伸びた根の強さや

どんな強風にも折れない幹のしなやかさを

彷彿とさせる。

人生の理不尽な艱難辛苦から逃げず、

愚痴を言わず、言い訳もせずに受け入れ、

そこからの学びを糧にしてきたからこそ

達することのできた境地だ。



共通点の多いビルと清蔵さんには、

偶然にも同じ試練が降りかかっている。

最愛の我が子に先立たれるという、ご不幸だ。

お二人が降りかかった苦痛をどのように飲み込み、

また立ち上がったのか。

僕には想像することさえできない。



ビルは

「喜びと悲しみは、

 常にひとつのものとして絡み合っている。

 子供に大きな喜びを与えている

 まさにその瞬間の中にあっても、

 そこには同時に深い悲しみが存在する」

と語っていた。



陰と陽。

盛者必衰の理。

永遠に続く喜びはなく、

悲しみもまた同様であること。

紆余曲折の人生の中で

酸いも甘いも噛み分けた人にとって

長い旅路を振り返ってみれば

ひとつひとつの山や谷は

広大な大地に同時に存在する

緩やかな起伏に

見えてくるのかもしれない。



そうした人が傍に立ち、

「なんも。だいじょぶだ」

と励ましてくれる幸せ。



腐敗した政界に、利益至上主義の経済界。

僕らにとっての本当に大切なヒーローは、

そうした脆弱な舞台に君臨する人ではない。



正真正銘の偉人たちは、

あなたのすぐそばにいるはずだ。

彼らは決して声高に語ることなく、

きっと今この瞬間も、

優しい眼差しで世界を見つめ、

両の腕でそっと抱き締めてくれている。














※清蔵さんの写真は、

懇意にしていただいているカメラマンの

山田貞司様に撮影していただきました。

この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

https://www.instagram.com/teiteiji

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