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人生最大の買物 〜前編〜






金を稼ぎ、何かを買う。

日々の食品、飲料水。電気にガスに水道。

バッグに時計。

車と、それを走らせる為のガソリン。

人生とは、金銭をありとあらゆる物品に変換してゆく、

際限のない繰り返しとも言える。



そして“人生最大の買物は何だったか?”と聞かれたら、

大概の人が“家”と答えるだろう。



私自身も、答えは同じで、

10年ほど前に東京の副都心に

新築のマンションを購入した。

ローンはまだ、たんまりと20年以上残っている。

完済する頃にはもう老人で、

最後の数年は、年金から負債を払う羽目になる。

問題は、人生最大の買物が

人生最高の買物だったと思えるかどうかで、

そこに関する自信はなかった。

しかし、そんな状況を一変させる大きな出来事が起きた。






2022年12月12日。

私は生まれて初めて、一軒家のオーナーとなった。

築年数は50年近くで、私とほぼ同い年だ。

場所は北海道で、美しい山の麓。

300坪の土地は森の中に入り込んでいて、

清らかな水が、細く控えめに流れている。

9月に初めてその家を訪れたとき、

庭で出迎えてくれたのは、なんとエゾシカだった。



一目見て、惚れ込んだ。

大地に根ざして生きるための足掛かりになると感じた。

周囲の自然を慈しみながら

自分もその一部として見つめながら暮らし、

ゆっくりと老い、還ってゆく。

そんな未来が、まるで古き良き日々を振り返るかのごとく、

人肌ほどの温度を持った情景として、脳裏に浮かんだ。



新しい人生の足掛かりとなる家と巡り合った僥倖に加え、

もう一つの奇跡があった。

普通なら、人生屈指の高額出費となる不動産を

金銭を支払うことなく、授かってしまったのだ。



何故そのようなことが起きたのか。

顛末を詳らかにしたい。






北海道で狩猟を始めた私は、

札幌の自宅から、様々な猟場に通った。

一番近いところでは、車で1時間ほどの札幌市郊外。

4時間はかかる道東にもよく行ったし、

5時間以上かかる、オホーツク海沿岸のポイントにも足を運んだ。

広大な北の大地をさすらいながら追い求めていたのは、

獲物だけではなかった。

狩猟採集生活に傾倒しながら、

いつかこの地で暮らしたい、という想いを強くしていった私は

自分の終の住処をも探していたのだ。



そうした中で、ずっと気になっている集落があった。

札幌からは車で1時間半ほどで、

狩猟の初年度に最も足繁く通い詰めた猟場の入り口だ。

その一角は、雰囲気が他と何か違った。

同じように森に隣接しているエリアはたくさんある。

しかしどこも、住宅地と山野、

ヒトの世界と、獣の世界の境界線が

どこかはっきり感じられた。

ところがここでは、木々に囲まれて

ポツンと建っている家がたくさんある。



そして集落の奥。

舗装路が途切れ、ガタガタと林道を行くと、

一般車両の通行を止めるゲートの手前に

湧水を湛えた池がある。

梅花藻が茂る砂地の水底に、

小魚が泳ぎ回る影が映し出される、美しい池だ。

一般の人も水を汲めるようになっていて、

ハンターでなくてもたくさんの人が水を汲みに来る。

私も山に入る前には必ず一口飲ませていただき、

気持ちを引き締め、山神に心の中で挨拶を唱える。

山を降りると、決まって20リットルのポリタンクを一杯にし、

御礼を言って帰宅の途につく。



間近に聳える秀峰に降った雪が

大地を伝って湧き出すその水は味わい深い。

冬の厳しさと地下の静寂の記憶を宿した水が

数十年ぶりの陽光との再会に歓喜を爆発させる。

その瞬間をいただくのだ。

飲めば飲むほど、体が浄化されてゆく甘露水。

この水を毎日飲むことができたら、

どんなに日々が健やかになるだろうと思った。






去年から、真剣にその地域の物件を探し始めた。

不動産業者を複数当たった。

しかし、どの担当者も

「あの地域は滅多に売り物件は出ない」と口を揃えた。

中には「自分の記憶の限りでは一度も売家が出たためしが無い」

という人さえいた。



実はその地区で2018年に、

リフォームしたての物件が売りに出たことを私は知っていた。

当時はまだ狩猟を始めたばかりで

北海道移住は考えてなかったこともあり、

「あの場所でも売り物件は出るのだなあ」と思うくらいだった。

ネットの不動産サイトに上がっていたその物件は

あっという間に売れてしまい、すぐに画面から姿を消した。



その後しばらくして、また別のあばら屋の売り看板が立った。

少し前に売りに出た一軒家の隣だった。

電話をして持ち主に会いにいった。

出迎えてくれたのはアイヌの老人で、

自力で建てた小屋だという。

野菜を育てるときなどに泊まるための小屋で、

水道はなく、トイレも簡易的なものだった。

悩んだが、やはりそこに住むのは難しいと判断した。

この小屋も、しばらくして新しい持ち主がついた。



いざ物件を探し始め、全く出てこない日々が続く中、

以前のことを思い出す度に、後悔の念を覚えた。

あれは、千載一遇のチャンスだったのだ。

2軒合わせても、東京のマンションに比べれば断然安い。

一軒家を住居とし、あばら屋は鹿の解体やナイフ作りの工房に使い、

広い庭で野菜を育てたり、バーベキューをしたり。

今だったら即決で買うのに、と歯軋りをする思いだった。

近隣エリアの売家をいくつも見にいったが、

やはり気に入るものはなかった。






何か打開策はないものか。

地域おこし隊で東京から北海道に移住した知り合いが

「役場に問い合わせてみたら」と提案してくれた。

その手があったかと、役場に早速連絡を入れた。



希望の地区を伝えると、

やはりそこは全くと言っていいほど物件が出ない場所とのことだった。

しかし、簡単には諦められない。

めげずにこちらの要望ややりたいことを説明していると、

「とりあえず町内会長さんをご紹介しましょう」という話になった。

しばらくして役場の担当者から

町内会長のHさんの連絡先が送られてきた。



色々な歯車が噛み合い始めたのは、その辺りからだったように思う。






初めて電話でお話しするHさんは

柔和な語り口で、お声だけからもお人柄が伝わってきた。

狩猟をベースとした生活がしたいこと、

森の中に入り込むような家に住みたいことなど、

私の話を全てきちんと聞いて下さり、

「なんとか力になるよう、やってみましょう」

と言って下さった。



ひと月ほどして、

「一軒、売ってもいいという家が見つかりました」

と連絡が入った時には飛び上がらんばかりの気持ちになった。

週末を利用し、すぐに北海道に飛んだ。



Hさんは想像通りの人格者だった。

長年その地区に暮らし、小学校の校長先生まで務められたそうで、

なるほどそういうことか、と腑に落ちた。



Hさんが案内してくれた家は、

まさに私が住みたいと思っていた一角に建っていた。

Hさんはどのようにして

不動産屋の網にもかからない物件を探し当てたのか。

家主さんから聞いて、私は衝撃を受けた。

なんとHさんは、私の希望の場所に建つ家々を一軒一軒ノックして周り、

「家を売る気はないですか?」

と聞いて回っていたというのだ。



一度電話をし、その後数回メールのやり取りをしただけなのに。

どこの馬の骨とも知れない人間に

どうしてそこまで親身になって下さるのか。

水や森に惹かれていたこの場所に、

もう一つ、人という大きな魅力が加わった瞬間だった。



しかし、事はそううまくは運ばない。

その家は少し狭く、窓からの景色を眺めながら、

自分が本当に住みたいかどうかを考える中で

何か違和感を感じていた。

そんな私の表情を読み取っていたのだろうか。

Hさんは、その場で結論を迫る事はなかった。






その日、Hさんは集落のあちこちを案内して下さった。

いつもは猟場に行くコースしか走ってこなかったので、

様々な発見があった。

この場所は惹かれる、ここはそうでもないなど、

率直な印象をお伝えしていった。

Hさんは、私の嗜好性をご自身の中に取り込むように

頷きながら聞いて下さっていた。

最後に、鹿がいつも見られるという

秘密のポイントまでも教えていただき、

心よりの御礼を申し上げ、私は東京に戻った。






そして悩んだ挙句、

せっかくご紹介いただいた物件を、購入しない旨を

Hさんにお伝えした。








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