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三つの “Shoot”




「撮る」と「獲る」。

漢字は違うが発音は同じ。

似て非なる行為だが、共通点も多い。

英語では、共に“Shoot”という単語が当てられる。

撮ることと、獲ること。

二つの“Shoot”を両立させるのが

この日のミッションだった。





同行者は二人。

いずれも、二回目の同行だ。



去年十二月に、初めての猟に連れて行った大学生のMは

ハンターになりたいという夢を持つようになった。

前回は体験だったが、今回からは修行だよ、と伝えてある。



スポーツカメラマンのHと山に入ったのはひと月ほど前。

狩猟の様子や鹿を撮影したいと言っていたが、

結局、私が発砲する姿を撮影することはできず、

山の中で生きた鹿を見つけることもできなかった。

実はHと私には宿題があった。

行きつけの、ジビエ料理を出している料理店から

「お客様に、命の有り難みや、

 自分がどんな肉を食べているのかを感じてもらうため、

 料理に添えるカードを作って欲しい」

とお願いされている。

Hは鹿の写真。

私はそこに載せる文章。

その料理店の常連である我々がシェフとも力を合わせ、

より客の心に響く一皿を作り上げる。

非常にやりがいのあるプロジェクトだ。



今回は、HとMの二人とも、一眼レフを持っての山行だ。

Hはカメラマンだから当然として、

Mにカメラを持たせたのには理由がある。

銃を持つ前の狩猟の練習として、

写真で鹿を撮影する、という手法があるのだ。

銃をカメラに置き換え、射撃を想定する。

倍率はスコープと同じくらいにしておく。

手ブレ補正機能は切る。

狩猟では鹿を見つけてから弾を込めるのと一緒で、

カメラの電源は鹿を見つけてからONにする。

バックストップを確認してからシャッターを押す。

(狩猟では、鹿から外れたり、貫通した銃弾が

 飛んで行って事故を起こさないよう、

 射つ前に必ず、鹿の背後に斜面などの

 流れ弾を受け止めてくれる安土があるかを確認する。)

などのルールを守り、鹿を撮影してもらう。



更に、新人ハンターが一番苦労するのが解体だ。

銃を所持したてでも、運が良ければ鹿は獲れてしまう。

そして、倒れた鹿を目の前に大抵の新人は当惑するのだ。

Mがそうならないよう、銃の所持許可を持つ前に解体を会得し、

最初からきちんと肉を持ち帰って欲しいと思っていた。



ということで、この日の流れは以下の通り。

まずはHとMに、鹿の写真をきちんと撮ってもらう。

その後、私が鹿を撃ち、

できれば私が発砲する瞬間をHが撮影。

その後、解体をMに教える。

段取りが多く、順番も決まっている。



一人で山を歩いて鹿を獲るだけでも

簡単なことではないのに、

その前に撮影タイムを設けなくてはならない。

しかも、足音は三人分だ。

不利な条件が重なるが、

難易度が高ければ高いほど私のモチベーションは上がる。

なんとか、したい。

でも、自然が相手、

どうにもならないこともある。

優先順位として、まずは撮影、とした。

二人とも私が鹿を獲るところは見ているし、

ナイフでの止め刺しも体験済みだ。

鹿が獲れなかったら、解体はまた別の機会に教えることもできる。



前の晩は、別件の打ち合わせもあり、

カードをお願いされている料理店で、皆で飲んでいた。

朝5時起床で、そのまま猟場に向かうため、

二人とも我が家に前泊してもらう。

早く帰るつもりがなんやかんやで深夜帰宅。

ほとんど、部活の合宿のような様相を呈す。

私の本棚の写真集を引っ張り出しては

「スゲー、ヤベー」などと

盛り上がっている二人を尻目に

私は黙々と三人分のナイフを研ぎ、

鹿を吊って解体する道具を準備する。

風呂にも入り、一息ついてビールを一本だけ飲み

ベッドに倒れこんだ。



翌朝。

目覚ましの音が遠くに感じる。

無理矢理に意識を覚醒させ、洗面に着替え。

Hは起きているが

Mは私たちが立てる物音にも反応はなく、

全く起きる気配がない。

「置いてくぞ」と言い捨て、

先に車に降りて準備を始める。

私が今使っている代車の軽自動車では

人間三人と全ての荷物を運ぶのは無理だ。

Hのファミリーカーに荷物を積みかえたところで

ようやくMが降りてきた。

とりあえず、置いて行かずに連れて行くこととする。



この日は、前の土曜日に3頭を撃った日本海側の猟場。

雪は深いが、鹿の密度は非常に濃い。

ここなら写真くらいは撮れるだろう、と考えた。

実際、猟場が近づくにつれ、

国道沿いに次々と鹿が現れる。

車を止めれば簡単に撮影はできるが、

それでは意味がないと、敢えて無視する。



この日は、ポイントは違うが同じエリアに

私が所属する狩猟同好会の若手たちが

それぞれ別々に忍び猟で入っていると聞いていた。

前日に私の使う無線のチャンネルを伝えてある。

夜明けと同時に、長いトンネルを抜けたところで

走行中の車から試しに発信。

「こちらミキオ、もう山には入ってる?」

「Hです。はい、入ってます!」

「0です。山、歩いてます!」

小気味良い返事が返ってくる。

夜明けと同時に歩き始めている若手たち。

ピリッとした若者の熱気と気合を感じ

清々しい気持ちになった。

我々が現場に着く前に、そのうちの一人から

「もう獲れました!」

と報告が入る。

我が事のように嬉しいものだ。

そして、勝ち負けがあるわけではないが、

負けられない、とも思う。



駐車スペースの付近には

たくさんの真新しい足跡が付いていた。

私が数頭獲ったくらいでは、ここの鹿は減らないようだ。

いつも鹿が出ている、集落を挟んでの遠い斜面には

この日も鹿が出ている。

二人に鹿の存在を教える。

その距離でも鹿を見つけられるよう、

目を慣らしてもらう。






私はゾンメルスキーで先行し、

スノーシューを履いたHとMが後に続く。

いつも鹿を見る場所に向かうが

いきなり、大きく飛び跳ねた新しい足跡を見つける。

車で準備をしていた時点で

我々が立てる物音で気付かれ、

姿を見られる前に走り去ってしまったようだ。



しかし群れは一つではない筈。

そのまま森に入って行く。

どうしても体が笹に当たったり小枝が折れたり、

音が立ってしまう。

止まっている鹿の姿を捉える前に

二度、逃げられてしまった。

木々の間を跳ねる影だけを見送る。

念のため、周囲の鹿がいそうな場所を

ぐるっと見回るがもぬけの殻だった。



今日はMの修行もあり、

少し奥まで入ってみるかと

一旦木立を抜け、歩きやすい林道に出る。

すると、大きな谷を挟んだ向かいの斜面に

何頭もの鹿が出ているのを見つけた。

頭を下げて何かを食べているもの、

腹ばいになってゴロゴロしているもの。

リラックスしている。

気付かれずにうまくアプローチできたら、

撮って、獲れるかもしれない。

ここからどうするか、作戦を巡らす。

同じような斜面を近くで探すか、

あるいは、鹿が今いる、その斜面を目指すか。

色々な条件を加味して考えたが、

尾根をぐるっと回り込み、

鹿がいる斜面そのものを目指すことにした。



警戒心の強い鹿は、高い場所を好む。

そこから広範囲を見渡すことで安心できるのだ。

その鹿を仕留めようとするのなら、

こちらが更に高い場所に登り、

下方向に注意を払っている鹿に気付かれないよう

上からアプローチするのがセオリーだ。

あの鹿たちの、更に高いところから回り込むには

最低2時間は歩かなくてはならないな、と覚悟を決める。



標高をどんどん上げて行く。

急に足跡が少なくなる。

雪が深すぎるのか。

鹿の気配が殆ど無いまま

肉体的な負担だけが増していく。



目標の標高に達し、

谷をトラバースしようとした時、

斜面の上の方に、久しぶりの鹿の影を発見する。

親子だ。

MとHを振り返り、鹿を指差す。

大学生のMはすぐに見つけたようだが、

カメラマンのHはどうしても分からないようだ。

300ミリ・f2.8の大砲のようなレンズに

更に2倍のエクステンダーをかましての600ミリ。

そのレンズで鹿の姿を捉えるのは至難の業だ。

二人がゴソゴソとカメラを構えていても

じっと逃げない親子。

今日は、まずは撮影だ。

撃ちたいのをじっと我慢する。

しかし残念ながら、結局Hがシャッターを押す前に

ゆっくりと走り出してしまった。



そんなに慌てている様子もないため、

二頭を追うことにする。

ジグザクに斜面を歩いて更に高度を上げ、

足跡に当たった所からトラバースを始める。

小さな尾根を越えたところで再び姿を捉えた。

しかし鹿の警戒心が高まっているのか、

止まってくれていたのは束の間で

今度はすぐに逃げられてしまった。



雪中行軍は続く。

雪はますます深くなり、

ゾンメルスキーでも沈みがちになる。

一歩一歩、足を高く上げなくてはならない

スノーシューの二人は相当にこたえているだろう。

たまに振り返り、

「楽しい?」と聞くと、

「楽しいです!」と返ってくる。

痩せ我慢もあるだろうが、本心でもありそうだ。

よしよし、とほくそ笑む。

どうしようもない状況の中に放り込まれ

その中で足掻くことで

人は壁を破り限界値は上がる。

胆力と自信がついていく。

学力も経済力も関係ない、

人間力のレベルアップだ。



ふと、雪の中から突き出している木々の枝の中に

違和感を覚えた。

目をこらすと同時に動き出す枝。

鹿の角だった。

このエリアでは滅多に見ない立派な角の単独雄。

やはり巨大な雄は、山の一番険しい場所にいるのだ。

一目散に逃げていく。

しかし、慌てたのか鹿道を外れたようで

深い雪に脚を取られ、思うように進めていない。

新雪の急斜面をゆっくりと泳ぐように進む後ろ姿。

むき出しの後頭部。

巨大な雄の力をいただきたいという願望の強い私は

またしても発砲したい、という強い衝動にかられるが、

ひたすら耐え忍ぶ。

疲れた雄鹿が坂を登りきったところで止まり、

巨大な角を振りかざしてこちらを向きでもしたら

最高のシャッターチャンスだ。

撮影、撮影、今日は撮影、と心に言い聞かせる。

しかし雄鹿の体力はたいしたもので、

坂を登り切ると共に猛然と駆けていく。

しばらくその足跡を追うが、

歩幅から見るにスピードは全然落ちていない。

高い尾根を越えて反対側に降りる足跡を

確認したところで断念した。



撮影とは、こんなに難しいものだったのか。

一枚くらいは撮れるだろう、との読みは甘かった。

カメラを貸して、と言いたくなる。

鹿を撮らせるより、

自分で獲る方が余程楽だと思い知る。



ようやく、目的地である鹿がいた稜線の端に辿り着く。

ここからは今度はひたすら下りで、

狙い通りであれば鹿がたくさん出てくる筈だ。

時間は13時前。

一旦昼食の休憩をとることにした。

もう6時間近く歩き続けている。

少し時間を置き、集中力を高め

最大にして最後のチャンスに賭けよう。



周囲の木々をよく見ると、

皮が綺麗に鹿に剥がされ、

真っ白な木肌がむき出しになっている。

腹を減らせた鹿たちがかじったものだ。

硬い樹皮と木質部の間の、

甘皮のようなものにたくさんの歯型か残っている。

鹿は一体どのようなものを食べているのか。

薄茶色の甘皮を爪で剥ぎ取り、口にしてみる。

硬いが、樹皮よりは全然マシだ。

微かな甘味を感じるような気もする。

少なくとも、自分が食べるなら

笹の葉よりも木の甘皮の方を選ぶかな、と思う。

それにしても、こんなものを食べてあの巨体を維持し

極寒の日々を耐え忍んでいるとは。

驚きと、鹿への敬意を覚える。

しかしこれでは木が枯れていってしまう。

それは鹿の為にもならない。






空腹も収まり、気持ちを新たに歩き出す。

標高を50メートルほど下げたところで

走って逃げる鹿を見つけた途端、

別の方向から警戒音が聞こえる。

同時に奥から他の鹿が走り出す。

森の広い範囲にバラバラになっている群れの

中心に入ってしまったようだ。

最初の一頭を、鹿に先んじて見つけられなかったのが

悔やまれる。

逃走する鹿に追いつけないものかと

ゾンメルスキーで滑りながらスピードを上げると

左右からまた別の鹿たちがどんどん出てくる。

どれでもいいから止まってくれ、と願うが

群れの勢いは止まらない。

何時間もの苦労が水の泡となる。



HとMが追いつくのを待ち、

再びゆっくりと歩き始める。

伐採された開けた斜面に出た時、

ひと組の親子がこちらを向いて立っていた。

ようやく見つけた静止した鹿。

二人に鹿の存在を知らせる。

パシャパシャというシャッター音。

なんとか頑張ってくれ、と祈る。

しばらくして親子は動き出し

斜面の下へと消えていった。



その場で一眼レフの画面を覗き込み

写真を確認するH。

顔を上げると、満面の笑みであった。

大砲のようなレンズをつけたカメラを

三脚どころか一脚もなしに構え、

100メートル近く離れた親子を捉えた写真。

愛らしい表情にぴたりとピントが合い、ブレてもいない。

プロのカメラマンの

瞬発的な凄まじい集中力に感服した。

Mも同じく、鹿の姿を撮影していた。

これで、この日最大の目的を果たすことができた。





今度は、私が鹿を獲る番だ。

残された稜線のストロークはもう少ししかない。

集中力のギアを上げる。

後続の二人を気にせず、

自分自身の体の動きを取り戻す。



次の伐採地に差し掛かった瞬間、

またしても親子の姿を捉えた。

先ほどとは別の親子が、谷に降りていく。

すぐに膝をつき、スコープに鹿を収めて動きを追う。

銃弾を薬室に送り込んだ音で

母親が立ち止まり、

こちらを振り返った瞬間。

発砲するが外した。



坂を駆け下りていく親子。

悔しい思いでスコープを覗き続ける。

すると、森に入る直前に立ち止まった。

母親は完全に後ろ向いたまま振り返り、

子供は体を少し斜めにして上半身が見えている。

即座に子供の方に照準を合わせる。

私の銃と腕前ではギリギリの150メートル近い距離。

そして、坂の下に向かって撃ち下ろすという条件。

150メートルでは、まっすぐに撃てば

私の銃と使用している弾では

スコープで狙っている点から20センチほどドロップする。

しかし撃ち下ろしの場合は重力の影響を受けにくい為、

ドロップ率は下がる。

それを補正し、どの辺りを狙えばいいのか、

複雑な計算をすれば正解が存在するのだろうが

いうまでもなく、そんな計算能力も余裕もない。

結局、弾を入れたい位置の10センチほど上を狙って

引き金を落とした。



子鹿が垂直に跳ね上がって駆け出す。

着弾したリアクションだ。

急いで坂を下って追いかけようとした途端に

この日初めての転倒。

慌てているのだ。

重いバックパックもあり

なかなか起き上がれずにもどかしくてたまらない。



MとHに、鹿を見失わないように追いかけてもらう。

違う方向に走っていく二人。

Mは、私と同じイメージの場所。

子鹿が跳ねた位置に向かう。

一方、Hは大きく右にずれて下っていく。

なんとか起き上がりMと合流するが、

正解はHだった。

カメラの望遠レンズで

ずっと鹿の行き先を見ていたのだという。

突如、Hの方向から一頭の子鹿が現れて走り出した。

すぐに立ち止まる。

即座に弾を込め直すが間に合わない。

私の準備が甘かった。

また走り出す子鹿。

少しだけ進むと横になる。

とどめの一発を入れようと

落ち着いてポジションを探す。

その隙にまたしても子鹿は立ち上がり、

沢筋へと姿を消した。



沢が見える位置まで進む。

三人がそれぞれの角度から子鹿を探すが姿は見えない。

しかも不思議なのが、血が一滴も落ちていないことだ。

座り込んだことを考えると、致命傷を負っている筈だが

一体どういうことなのだろうか。

大した傷ではなく、逃げ切られたのか。



しばらくすると急に対岸の木の陰から子鹿が起き上がった。

よろよろと坂を登っている。

早く終わりにしてあげたい。

ベルトにつけている弾帯から、

とどめを刺す時用に準備しておいた

至近距離用の弾を出して装填する。

後頭部の下を狙って発砲。

しかしかすりもしない。

二発目も完全に外してしまい、愕然とする。



決して弾のせいにする訳ではなく、

私の射撃の腕がお粗末だからなのだが、

とどめ用の弾は一発400円。

普段使っている弾は一発700円。

構造も精度も違う。

射撃場で50メートルの標的を撃った時には

着弾点はほとんど変わらなかったが、

完全に狙い込んだ二発とも外す、ということは

何か別の要因が働いていたのだろうか。



結局、子鹿は急坂を登りきった。

Hに高い位置から鹿の動きを見ていてもらい、

私とMは沢に降りて対岸に渡り、獲物を追って登攀する。

座り込んだ子鹿の姿を捉えたところでHを呼んで合流する。

幼いながらに、ここまで死力を尽くして逃げてきた子鹿に、

賛辞と、苦しませてしまったお詫びを言いながら近づく。

体力も気力も限界に達し、

恐怖に怯えている筈の子鹿と目が合う。

しかしその表情は、先ほどHが捉えた写真と全く同様で

とても可愛らしい。

肉食動物では牙を剥き出し、敵を威嚇する表情筋があるが、

鹿にはそうした構造がないのだろう。

つぶらな瞳で私をじっと見つめ続ける子鹿。

その首を射抜く。

一気に首をのけぞらせ、全身が痙攣した後、

ゆっくりと力が抜けていく。

もし牙をむいて私に向かってきてくれたら

もっと迷いなくとどめを刺せるのに。

そんな思いが心をよぎる。





ハンター志望のMに最初のナイフを入れてもらう。

が、やはりずれている。

突き立てられたナイフを抜かずに

そのまま私が代わり、

喉元に切り上げる中で軌道を修正し

動脈を切った。



Mに血抜きを継続してもらいながら

鹿を木に吊る準備を整える。

「まずは何から始める?」

「えっと、肛門を抜く、ですか?」

「正解。」

解体講座の開始だ。

ナイフの使い方がぎこちなく、

なかなか皮を切り裂けなかったり

怪我をしそうな手つきをヒヤヒヤしながら見守る。

内臓を全て摘出したところで気道を切り取り、

風通しの良い枝に刺して鹿の命の輪廻を祈る。

私の師、カナダ・ユーコンの先住民、キースから

狩りで最も大切なこと、と教えられた所作だ。

一つの作業が終わるたび、次の手順は何かをMに考えさせる。

そして最初の半分を私が行い、残りをMにやってもらう。

次に彼が同行する時には、すべての作業を主体的にやってもらい

私はアドバイスをするだけとしたい。

Hは写真を撮ったり、細々とした作業を手伝ってくれながら

我々のサポートに徹していた。






出血が無かった理由も分かった。

弾は左の腿から入り、胃を貫き、レバーをかすめ、

体を貫通することなく肋骨の内側で止まっていた。

銃創は、着弾側は小さな穴だが、

貫通した側は傷口が大きく開く。

子鹿の外傷は小さな穴だけだったのだ。

通常子鹿であれば銃弾は体を突き抜けるが、

150メートルという距離のため、

弾の威力も失われていたのだろう。



解体を終え、肉は二人に背負ってもらい、

鹿と山に最後の感謝を捧げる。

車についた時には、もう真っ暗になっていた。

12キロをスノーシューで歩き切ったHとMは

もう疲労困憊のはずだが、

それぞれの目的を果たした充実感からか、

表情は明るく輝いていた。



改めて見直すと、Hの写真は様々な狩猟のシーンを

驚くほど克明に切り取っていた。

とどめを刺そうと自分に近づくハンターを見つめる子鹿の表情。

銃を構えた私の姿。

とどめを撃ち込んだ瞬間に仰け反る子鹿。

そこに駆け寄る私。

動的な瞬間をつぶさに拾い上げていく、

プロカメラマンならではのリアルドキュメントだ。





更に、写真を見返すことで初めて分かる発見もあった。

我々が子鹿に追いつき、子鹿が最初に走り出した時。

私たちには子鹿の姿しか見えていなかったが、

Hの写真には、子鹿を待つ母鹿の姿が映っていた。






銃を持った人間たちが目を血走らせて近付いてくる中、

傷ついた我が子に、母は最後まで寄り添っていたのだ。

あの子鹿が諦めずに逃げ続けたのも

母に追い付けば助かるに違いない、と信じていたからかもしれない。

車に積んである肉は、単なる肉ではない。

子鹿が何としても生きようとした証だ。

言葉にならない感動が私達の心に湧き上がった。



私といえば、今日も反省することばかりだ。

一発目を外したこと。

二発目でクリーンキルに至らなかったこと。

三発目と四発目のとどめを完全に外したこと。



しかし、撮ることと、獲ること、

二律背反とも言える二つの“Shoot”を

共に達成することはできた。





“Shoot”にはもう一つ、意味がある。

「新芽」という意味だ。

険しい山道を歩ききった充実感。

当初の目的をきちんと果たしたことで生まれる自信。

特別な一日を共に過ごした友への信頼と感謝。

そして何より、

ギリギリの瞬間まで我が子のそばを離れなかった母鹿と

最後まで戦い抜いた子鹿が私達の中に灯した小さな火。


この日、心に芽生えた様々な感情が、

三つ目の“Shoot”だ。



その小さな芽は

力強く根を張り成長を続け、

これからの私達を支えていってくれることだろう。




※写真は全てカメラマンのHiroaki Okawara氏よりいただきました。



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