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一石二鹿




単独猟の日は、またしても少々の寝坊から始まった。

今回も目的はゾンメルスキーのスキルアップ。

軽自動車でも辿り着ける、

除雪されたスペースに車を停める。



このエリアに来るのは3回目。

これまでは、車を走らせていると

海岸線の斜面にに必ず何頭も鹿の姿を見てきたが、

この朝はなぜか一頭も見なかった。

何か嫌な予感もするが、

鹿がいなくなってしまった筈はない。

こういう日に鹿がどんな行動をとっているのか、

観察して勉強しよう、と思った。



ゾンメルスキーを履き、改めてあたりを見回す。

すると、集落と谷を挟み、

5、600メートル離れた斜面に2頭の鹿を見つけた。

さらによく見ると、少し離れたところにまた2頭。

歩き回りながら草を食べている。

車が頻繁に通るルート沿いには姿は見せないが、

鹿が動き回っていることは分かった。

その斜面は南西向きで、木はまばらで少し開けている。

日本海の強い季節風が雪を吹き飛ばし、

多少の草を露出させているような斜面だ。



観察の結果は自分の猟に活かさなくてはいけない。

自分がこれから進むルート上で

同じような環境はどこにあるのか。

地形図と前回の記憶を頼りに考える。



意外に濃厚と思われたのが、

森の奥に入らず、海岸線の作業道を進むルート。

海べりには高い木は無く、

笹薮や潅木帯が広がっている。

開けていて歩きやすいので、

どんどん進めばスキーの練習にもなる。





GPSアプリでトラッキングを開始し歩き始める。

私が考えていたポイントへの入り口までは、

5分もかからない。

いきなりいる訳はないよな、と思いながら覗くと

いきなり、いた。



谷筋で頭を下げて草を食べている。

先ほど遠い斜面で見た鹿と全く同じ行動だ。

こちらには気づいていないが、

背中しか見えない。

サイズからして、雌か、若い雄だ。



このまま無防備に近付いたら逃げられるし

立射でしか撃てない。

きちんと体が見えるポジションまで接近し、

膝撃ちの姿勢をとりたい。

可能な限り身を屈め、

土下座のような姿勢のままジリジリと歩く。

踵が上がるゾンメルスキーならではの進み方だ。



しばらくして慎重に頭を上げる。

鹿はまだ同じポジションで草を食べている。

もう少しだ。

さらに進み、体を起こす前に弾を込め、

そこで迅速に膝立ちの姿勢をとる。



すると、鹿がいない。

絶好のチャンスだったのだが、

実弾を装填する音で気付かれたのか。

少し奥の木の幹から頭がのぞいている。

狙いを定めると、ポーンポーンと飛び跳ねながら

離れていく。

すぐに一旦止まったが、太い木の枝が絶妙に邪魔で、

頭もネックもバイタルも、

致命傷を与えられる箇所はどこも狙うことができない。

鹿はきっとそれを分かっているのだろう。

撃ちにくいルートを走り、撃てないポイントで止まる。

消化器系に弾を撃ち込むつもりは全くないので

そのまま鹿が少しだけ動くのを待つ。

しかしそこから鹿はまた軽やかに走り出し、

森の方向へと消えて行った。





ここで獲っては呆気なさすぎてつまらないではないか、

今日はスキーの練習と鹿の行動観察が主目的なのだ、

と思いながらも、やはり悔しい。



鹿が草を食べていたあたりを歩いてみると

木の皮がたくさん剥がされている。

何頭もの鹿がここで食事をしていたのだ。

そして、深い雪の中から顔を覗かせている

わずかな流れを見つけた。

鹿道はそこを迂回せず、

わざわざ飛び込むように水の中に入り、また出て行っている。

私はまだフィールドで、

鹿がゴクゴクと水を飲んでいるシーンを見たことはないが、

大きな胃に溜め込んだ植物の葉を

反芻しながら消化する鹿は

大量の水も必要とするという。

ここがその水飲み場に違いない。

草や木の皮を食べ、水を飲み、森に身を隠す。

ここでは狭い範囲に鹿が生命を維持する上での

必要十分条件が揃っている。





その先はすぐに森だ。

私以外のハンターの形跡はない。

ということは、鹿は森の入り口近くにいても

おかしくない。



枝を折って音など立てぬよう、

身をくねらせながらゆっくりと木々をすり抜けていく。



程なく、入り組んだ枝の奥に

気になるシルエットを見つける。

双眼鏡で覗くがまだ確信は持てない。

銃のスコープの倍率を12倍まで上げてのぞく。

毛の質感。

やはり鹿だ。

体の各所が枝に遮られているが、

そこをすり抜ければ

肺を狙うことはできそうだ。



音を立てないように時間をかけて

銃を構え、引き金を引いた。

逃げ去る鹿。

手間の枝で跳弾してしまったのだろうか。



しかし、当たっていないかきちんと確認するのは

ハンターの義務。

沢を迂回しながら遠回りに

数分かけて鹿が立っていたあたりを目指す。



途中、落ちているワッズを見つけた。

銅製の弾頭を支えるプラスチック製のワッズ。

発砲と共に、多分20メートルくらい飛んでしまう。

薬莢はいつも回収しているが、

ワッズはいつもどうしても見当たらない。

今回は回収できて良かった。

銃弾メーカーは、是非自然に還る素材で

ワッズを製造するようにしてほしいものだ。





虱潰しに周囲をチェックしていき、

相当な時間を費やしたが、血痕は見当たらない。

残念ながら、諦めて先に進むことにする。



先ほどの鹿には逃げられても

また別の群れが現れる可能性もある、

と思って歩いていると

200メートルも進まない内に

またしても鹿の姿を捉えた。



今度もこちらに気付いていない。

木の陰に隠れて距離を詰めていく。

今まではこの過程で鹿に気付かれることが多かった。

多くの場合、自分が見つけた鹿以外に

周りに何頭かの見逃している鹿がいる。

自分がマークした鹿には気付かれなくても、

別の鹿が思わぬ場所から警戒音を上げ

群れが一気に逃げ去ってしまうのだ。

しかし今回は大丈夫そうだ。

次々に鹿を見つけるが、

どれも私に気付いている気配はない。

これがゾンメルスキーの威力か。

まさに、忍び猟、という名が相応しい。



50メートルほどに近づいたところで、

銃を乗せるのに丁度良い高さの横枝があった。

先台を枝に預け、幹に体を寄せて安定させる。

いつもは瞬時に膝立ちで撃つので、

ここまで周到に準備ができる機会は珍しい。

射撃場で標的を撃つように

全く銃がブレない状況で

一番近い子鹿に狙いを絞り込む。



この距離でこの状況なら、

私でもネックを狙える。

頚椎を射抜く方が肺を射抜くより的が小さく、

難易度は高い。

わずかに外して首肉だけをえぐれば、

鹿は逃げ去るが、結局死ぬことになる。

絶対に当てなくてはならない。



子鹿の後ろには、群れがウロウロしている。



不意に狩猟一年目の時の記憶が蘇った。

北海道の師匠に猟に連れて行ってもらった時。

道を渡る群れを見つけた。

追いつくと、群れは止まって私たちを見ていた。

一頭に狙いを定めて発砲。

その場で跳ね上がって逃げて行った。

師匠と血痕をひたすら追うが、

出血量は微々たるもの。

いくらでも追おうとする私を師匠がなだめ

来た道を戻る。

すると、事切れた鹿が倒れているではないか。

私の弾はきちんと当たっていた。

一頭を貫通して即死させ、

後ろの一頭に怪我をさせていたのだ。

派手なアクションで飛び上がった鹿に目を取られ、

狙っていた鹿が倒れたことには気付かなかった。

要するに、弾は一発でも、

鹿が二頭獲れる可能性はある、ということだ。



今、狙っている鹿は体の厚みの薄い子鹿で首も細い。

鹿肉が欲しい、という友人からの依頼は

今期に入って増えている。

車までの距離を考えると、

二往復して二頭の肉を運びきることは十分に可能だ。

あらゆるコンディションが揃っている。

一発で二頭を獲ろう、と決めた。



子鹿の首の背後に、別の鹿が重なるのを

微動だにせず、今か今かとひたすら待つ。

自分が息をしているのかしていないのかも分からない。

すると、一頭の雌が顔を上げ、横に歩き出した。

まさに子鹿と重なる進路を進む。

そして待ちわびていた瞬間が到来した。



子鹿はその場に引っ繰り返り、

空を向いた四肢が痙攣している。

後ろの雌が跳ね上がり走る。

ストックを拾い上げ、銃を肩にかけると

子鹿の元に駆け寄った。



すると急に、逃げ出した雌が踵を返し

私に向かって走って来た。

斜面を登る力がなく、

最後の手段として坂を下るルートを選んだのだろう。

目を大きく見開き、私に飛びかかる勢いで

全速力でこちらに駆け下りてくる。

こんなことは初めてだ。

そして、今まで聞いたことのない鳴き声をあげた。

キャン、という警戒音でもなく、

繁殖期にメスを呼ぶ雄の鳴き声とも違う。

馬のいななきに近いような、太く長い鳴き声だ。

「ビエェェェッ」という絶叫の

あまりの迫力に圧倒されながらも弾を込め直す。

しかし雌鹿は、私の数メートル脇をすり抜け、

猛然と走り去って行った。





次の一手を考える。

選択肢は二つ。

其の一は、

まず子鹿の止め刺しをして血抜きを行い、

すぐに雌を追って仕留め、

順番に解体する。

其の二は、

子鹿を完全に解体してから

雌を改めて追いかける。



私は後者を選んだ。

坂を下ってこちらに逃げたということは

雌は致命傷を負っている。

血の跡は追えるだろう。

しかし今はまだ走る力は残されている。

追えば、最後の力を振り絞って

立ち上がって逃げるはずだ。

追いつけない可能性もある。

刺激しなければ、あの雌はどこかで座って休む。

そして徐々に力を失い、再び立つことは出来なくなる。





インディアンの師匠、キースが私に言った言葉を思い出す。

「致命傷を与えたら、追ってはいけない。

 その獲物が、自分の死を受け入れるための

 30分間の時間を与えてあげなさい。

 その間、お前は獲物のために祈るのだ。」

きっと、今がその時だ。

子鹿を解体しながら、雌にも祈りを捧げよう。

そして、その後に必ず仕留める。

決して無駄死にはさせない。



子鹿にとどめを刺そうとすると

まだ頭を振る。

打たれた瞬間は硬直して痙攣していたが、

しばらくして意識を取り戻したのか。

きちんと首に弾痕があるが、

頚椎を完全に破壊はしていなかったようだ。



苦しませてごめん、ありがとう、と

ナイフを入れようとした瞬間。

頭に強い痛みが走った。

どの脚で蹴られたかも分からないが、

子鹿が思い切り私の額を蹴ったのだ。

頭がクラクラしたが、

そのまま子鹿の胸にナイフを入れた。

喉元から噴出する血が

雪を真っ赤に染める。

額を触るとボッコリと腫れている。

凄まじい生への執念。

短い生涯の最期。

最後まで、生きるために運命に抗おうとした痕跡を

この身に刻まれる。

痛みの記憶とともに、この子鹿の生き様もまた

私の心に深く刻まれた。




解体を終えてもまだ、

後ろ足などの大きな部位の肉はまだ温かい。

地面に置いたままではカラスにやられるので

全て横枝に宙吊りにする。

しばらく冷風に晒して冷やすことにする。



さて、次は雌を仕留める番だ。

解体グッズを全てパッキングし直して背負い、

ゾンメルスキーを履き直し、歩き出す。



血痕は明らかで、程なく、

沢の中で動けなくなっている雌に追いつく。

まだ少し息がある。

刺激しない距離から、後頭部と繋がる第一頚椎を撃ち抜いた。

大ぶりの美しい雌だった。

苦労して沢から引きずり上げ、

再び解体を始める。






そして最も辛い瞬間が訪れる。



内臓を出すときに現れる、

この世界の空気を吸うことのなかった子供。

私は必ず対面することにしている。

冬の初めに比べ、随分大きくなっている。

我が子の姿を見ることのできなかった

母親の頭のそばに置いて毛皮で包み、埋葬する。





キリキリと心が痛む。

雌を撃つ度に訪れる葛藤だ。



しかし再び鹿を追う時には無我夢中になり、

捕獲した時には強い喜びを感じる。

これが、生きる、ということの業なのか。

無数の命を殺めながらもすぐにそれを忘れ、

旨い旨いと肉を食う。

残酷だと思う人も多いと思う。

ところが、自分で獲物を獲ることのない大半の人は

その痛みを知らず、知ろうともしない。



せめて私は、この引き裂かれるような痛みを含め

本当の肉の味を体感する者でありたい。





車までは想定通り二往復。

長距離をゾンメルスキーで歩くことはできなかったのは

むしろ猟果を得た幸運というべきなのか。

しかしそれなりに上達してきたのか、

この日は一度も転倒する事はなかった。





そして二往復目の途中。

海沿いを進もうとした時、

赤い色に体が反応した。

わずかな血痕だ。



あの雌はここまで遠回りしてから沢に落ちたのか。

そんな筈はない。

私が撃ったものではなく、

別のハンターの銃弾によるものなのか。

しかし今日このエリアを歩いていたのは

明らかに私だけだ。

くっきりとした血の輪郭は

今日落ちた血であろうことを物語る。

坂を登り直して追跡する。

なんと血痕は、切り立った険しい崖の上で途切れていた。

下を見ると、まとまった出血の跡があるようにも見えるが

日はとっぷりと暮れ始めており、暗くてよく見えない。

風も出てきた。

今日はゾンメルスキーの装備で、

アイゼンも、登山用のロープもない。

これ以上の追跡は危険すぎる。



あれは銃弾による出血なのだろうか。

もしかして、外したと思った一発目は

鹿に命中していたのか。



心に大きなわだかまりを抱えたまま、

帰路に着いた。



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