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Review 2024-25







長(おさ)の役目とは何か。

それは何をおいても、

一族や家族を守り、食べさせてゆくことではないだろうか。



農耕牧畜や貨幣経済が発展を遂げる前、

人類史の大部分を

狩猟採集民族として生きてきた我々が腹を満たすには

果実や山菜を集め、魚を釣り、獣を追うしか手はなかった。



だから古来、優秀な長とは、

自然の中に入って食糧を確保し、

他の者たちを飢えさせない人物のことを指した筈だ。

たとえ加齢や病気、怪我などによって

自分自身が動けなかったとしても、

周囲に的確に指示を出すことにより、

長はその使命を果たす。

もちろん一族の内部や、他の部族との争いの調停なども

重要な役割だっただろう。

しかしそうした事態が常時に発生している訳ではない。

日常的なことであれば、まずは食糧の確保が先決だ。



個人的なことだが、

この猟期の間に、僕は結婚した。

一族の長ではないが、家長にはなった。

家族を飢えさせないことが

僕の新たな使命となった。






狩猟家としてはとても幸運なことに、

妻は僕の活動への理解が深く、

狩猟に対しても、執筆や講演に於いても、

一番の応援者でいてくれる。



男性ハンターの中には奥様の理解を得るのに

苦労している人も多い。

せっかく鹿を獲ってきても妻はその肉を食べてくれず、

夫が自分で食べるだけ、という話もよく聞く。

苦労した身としては、切ない思いだろう。

僕の妻に関しては、

そもそも知り合ったきっかけが狩猟同行だったこともあり、

その辺りの問題は皆無だ。

僕が鹿を獲ると大喜びしてくれるし、

自宅付近で獲った時などには

現場に駆けつけて解体を手伝ってくれることもあるくらいだ。

枝肉(後脚や前脚であればそのまま1本の状態)を渡せば

脱骨して精肉し、真空パックまでしてくれる。

彼女の献身には、頭が上らない。



そして何より、彼女が作ってくれる鹿肉料理が絶品なのだ。

ロースト、ハンバーグ、スパイスカレー、ポトフ、トマト煮、

ロールキャベツ、カツ、ザンギ、しゃぶしゃぶ、

茄子味噌、青椒肉絲、鹿丼、レバニラ、レバーペースト。

皮を剥いだ首を丸ごと煮込んで作る、

鹿骨ラーメンの鹿チャーシュー乗せ。

枚挙にいとまがない料理を

ひとつひとつ描写したいところではあるが、

僕の文章力では

それらの味を紙面に再現することは土台無理だ。

そして端肉は全て

妻の連れ子である愛犬のご飯となり、

鹿肉は余すところなく家族の胃袋に収まる。

おかげで、スーパーで肉を買う分量は激減した。

特に牛肉は、全く買わなくなった。



男たる者、

(と言うとこのご時世では怒られるかもしれないが)

家族を養う肉は家長である自分が獲りたい。

即ち、本物の狩猟採集民として生きてゆきたい。

もう何年もの間、憧れてきたことが具現化してきている。

これまで、狩猟はライフスタイルとしては重要だったが、

実際の生活の中では趣味の延長でしかなかった。

それが本当に

一家の食卓を支える行為となったことは、

これまでにない充足感を僕に与えてくれている。






また、妻を得たことで、親族が一気に増えた。

僕自身は一人っ子で、両親は既に他界しているが、

妻の両親はご健在で、

妻の姉夫妻には二人の息子がいる。

僕の、新しい甥だ。



義姉の長男で高校2年生のSは、

中学時代に僕の著書

「獲る 食べる 生きる」を読んでくれた。

付箋がびっしりとつけられ、

真剣に読んでくれたことが窺い知れた。

著者冥利に尽きる、とはこのことだ。

本に出てくる言葉や漢字が難しいと言っていた彼の

高校進学祝いには広辞苑を選んだ。

甥に国語辞典を贈ることができるなど、

叔父としても嬉しい限りだ。



そのSが、狩猟を体験したいと言い出した。

基本的に、今はもう狩猟同行は受け付けていないのだが、

他でもない甥っ子だし、

僕の本をあれだけ読み込んでくれた上での依頼だ。

喜んで連れてゆくことにした。






3月下旬、Sが我が家にやってきた。

これまでは祖母や義姉がいつも一緒だったので、

S一人と会うのは初めてだ。

若干の緊張が見られるが、

それがまた初々しくて顔が綻ぶ。



翌朝、僕らは午前4時に起床して身支度を始めた。

5時前に家を出て、車を30分ほど走らせる。

最近は、狩猟禁止地区が多く、

ある程度の距離を歩くことができる山が

本当に少ない。

Sにはしっかりと山を歩いて欲しい。

僕が知る中では

この辺りで一番広いエリアを選んだ。



夜明けと共に現場に到着すると、

目の前に鹿が何頭か立っている。

普段なら、ありがとう、とすぐに撃っていたかもしれない。

しかしこの日は、Sを歩かせたいため、

最初の鹿は見送ることにした。



Sには、鹿が獲れた時に肉を運んでもらうために

背負子を持ってもらい、

僕も狩猟専用に設計されたバックパックを背負う。

準備が整ったところできちんと山にご挨拶をする。

「獲れますように」

と祈ったことはない。

「今日も安全に、正しい狩猟ができますように」

と祈っている。

獲れるか獲れないかは、単なる結果でしかない。

大切なのは、

野生動物がどのような環境で暮らしているのかを

五感で感じとること、

どれだけ自分が獣の気持ちになりきれるか、

そして自分自身を自然の一部として認識できるかだ。



更にSには、

狩猟者として山を歩く時の気持ちが

通常の山登りとどう違うのかを感じてほしかった。

山頂を目指すだけであれば

天候の変化や歩きのペース配分などに

気を配ればいいだろう。

登山のルートも、大概は決まった道筋だ。

狩猟の場合は

落ち葉のちょっとした乱れ、

頬を撫でる風の変化、

カサッという僅かな音、

獣の体臭など、

五感を総動員して情報を集める。

それらを総合的に分析し、

進む、止まる、引き返す、進路を変える、など

歩き方やコースが目まぐるしく変わる。

緊張感と集中力を

高いレベルで維持する必要があるし、

当然ながらそれを休ませる時間も設けないといけない。

どこをどう進んでどう獲るか、

複雑かつ柔軟な判断が求められ、

全ては自己責任。

それを言い換えてみれば、

本当の意味で自由である、ということだ。

この自由性こそが、狩猟の醍醐味と言えよう。



Sは、通常であれば

大学受験を経て社会人となってゆくだろう。

そして彼は、

現代社会の一般常識だったり

貨幣経済システムの中での身の振り方などを

身につけていくはずだ。

それはそれで大切なことだ。

しかし彼が人生選択の岐路に立たされる前に、

狩猟の限りない自由さを味わってほしいと思っていた。






大概、同行者は遠慮と恐怖心から

ハンターと離れて歩きがちだ。

10メートル、時には20メートル以上距離をおく人もいる。

離れてしまうと、色々なことが教えにくくなる。

鹿に気付かれそうになってかがんだとしても、

僕とほぼ同じ位置で同時に低くなってくれれば

見つからない可能性が高まる、

遠く離れていると、

鹿からは全くの別アングルとなるので

僕は死角に入っても同行者は丸見えで

結局はバレてしまうことが多い。

僕のすぐ後ろをついてくるように言っても

やはり少し距離を空けてしまうSを

何度も近くに呼び寄せる。

鹿の見つけ方。

足音を立てない歩き方。

風の読み方。

痕跡の読み方。

ゆっくりと歩きながら色々なことを

Sに教えていった。

声はできるだけ出さない方が良い。

例えば、

鹿が寝ていた跡は、雪が楕円形に解けている。

ストックの先でそれを指し示し、

目を瞑ってうつらうつらする演技をする。

元々細いSの目が丸くなる。

言葉にせずとも、言いたいことは伝わっている。



稜線をなぞるようにできた獣道を進んでいると、

ビャン!ビャン!と

甲高い声が鳴り響いた。

鹿の警戒音だ。

足音だけで気付かれてしまったのだ。

可能な限り物音を消す努力をしても

彼らの聴力を欺くことはできない。

こんなにゆっくり静かに歩いても尚、

気付かれてしまうのであれば、

もはや仕方がないと言えよう。



この時、選択肢はふたつある。

多少鳴かれても気にせずに進むか、

山全体が落ち着きを取り戻すまで待つかだ。

確固たる正解があるわけではない。

Sにとって初めての狩猟であることを考え、

休憩を兼ねてしばらく立ち止まることにした。



急な斜面を登り、

草地を見渡し、

笹藪を漕ぎ、

沢を渡り、

色々な状況が展開しながら

僕らは徐々に山奥へと入ってゆく。



歩き始めて3時間ほどして、

ようやく近距離に獲物が出た。

越えようとした起伏のすぐ向こう、

30メートルほどのところに雌鹿が顔を上げたのだ。

絶好のチャンス。

だが多分、気付かれてしまった。



基本的に僕は

立ったままでの射撃はしない。

銃口の向きがどうしても不安定になり、

狙ったところにピンポイントで弾を送り込むのが難しいからだ。

いつもは地面に座って片膝を立て、その上で銃を構える。

膝撃ちと呼ばれる姿勢だ。



雌鹿は起伏の向こう側にいるので、

その場で座ってしまっては視界から消えてしまう。

かといって、そのまま進めば

一気にダッシュして走り去るだろう。

瞬時の判断で僕はそっと座り、弾を込めた。

鹿は逃げる時は大抵上に逃げる。

見晴らしの良い場所を目指すのだろう。

だから僕は、鹿が稜線沿いについた獣道を

奥に登りながら逃げると読んだ。

彼女が移動すると共に体が見えてくるはずだ。

気付かれてはいるが、強い刺激は与えていない。

警戒しながらもゆっくり歩いてくれるかもしれない。

姿を現したら口笛でも吹いて足を止めさせ、

その瞬間に撃てば良い。

左方向もなだらかな上り斜面となっていて、

そちらに逃げたとしても

射程距離の範囲内で

姿を捉えることができるだろう。

問題は右側だった。

崖に近いような下りの急斜面になっている。

しかし、そちらに逃げる可能性は少ないと踏んだ。



僕の挙動を見たSは、

当然向こう側に鹿がいることを理解していた。

二人で座りこみ、じっと耳を澄ませる。

視覚で捉えられない以上、

鹿の動きは聴覚で感じ取るしかない。

足音が奥に行くなら奥に、

左斜面を登るなら左に、銃を構えておけば良い。

さあ、どっちだ。

落ち葉を踏みしめる微かな音が聞こえる。

しかし、進んでいる方向までは分からない。

鹿のように、自由に方向を変えられる大きな耳があったら

どんなにいいだろうと思う。



しばらくして、音が消えた。

どちらに進むか考えあぐねているのだろうか。

彼女も命が掛かっているのだから、

一歩が踏み出せないのも無理はない。

ここはじっくり待つしかないと

一旦銃を下ろし、

全神経を耳に集中させた。

しかしいくら待っても、鹿は動かない。

さすがに、おかしい。

そっと立ち上がって覗くと、

鹿の姿はもうどこにもなかった。



足音を全く立てずに、

僕から唯一の死角となっていた

右側の崖を下っていったのだろう。

読みは完全に外れた。

無念さも感じるが、

彼女の研ぎ澄まされた野生の勘を

賞賛する気持ちの方が大きかった。

天晴れな鹿だった。

思考の過程と、その結果をSに説明する。

彼も、鹿の頭の良さに瞠目していた。



この日は結局、

発砲するまでの状況には至らなかった。

しかし、それでも良かった。

険しい山道を12キロ歩いたSも

満足気な顔をしていた。

そしてSには、鹿の凄さを感じてもらうことができた。

同時に、僕たち人間が自然の中では

どれだけ不器用でか弱い存在なのか、ということも。

獲れない日こそが、学びの日だ。

最も伝えたいことは、

この日に伝えられたのではないかと思う。






翌日もまた、夜明けと共に歩き出した。

今時の高校生は忙しい。

Sはその日の内に

電車で2時間以上かかる自宅まで帰らなくてはならなかった。

そこで僕は自宅のそばのポイントを選んだ。



天気予報によると、

数時間後には雨が降りだす。

早めに獲って解体まで済ませたいが

鹿の姿はない。

そして予報より早く、雨が降り出した。

雪は振り払えば落ちるが

雨はじっとりと服を濡らす。

Sに風邪を引かせるわけにはいかないし、

銃も錆びる。

ある程度歩いた時点で

早めに見極めようと思いながら進む。

ところが森を抜けた途端、

開けた草地の奥に50頭以上の大群を発見した。



なんとか仕留めたい。

でもそのまま進めば、こちらの姿は丸見えだ。

一旦、鹿から見えない森の中に入り、

木々の中を進む。

森の中にも鹿はいたようで、

警戒音を出されるが

幸い草地にいる鹿たちは気付いていない。

皆、頭を下にして食事に夢中になっている。

雨がポツポツと降る音に加え、

自分たちが草を噛みちぎり咀嚼する音で

周囲の物音はあまり聞こえていないようだ。

群れは、ゆっくりと移動しながら草を食んでいて、

食べ終えたものから森の中に消えてゆく。

早く彼らに近付かないと

全員が森の中に入ってしまう。

しかし僕らは、

音を立てないように森を歩いているので

速度が上げられない。

1時間以上をかけて、

草地を覗けるポイントまでにじり寄ってゆく。



不意に、目指していた草地ではない斜面の下に

親子連れの鹿が姿を現した。

僕らはすぐに身を隠したので、姿は見られなかった。

しかし鹿たちは、物音には気付いているようで

キョロキョロとあたりを見回しながら

慎重に歩いている。

藪の中で動く耳先や背中がたまに見えた。

藪を抜けるあたりに銃を向け、弾を込める。

準備は万端だ。

まずは母親が姿を現した。

しかし、足早に沢を渡り、対岸の木立に消えてしまった。

続いて子鹿が出てきた。

そして運良く、いいポジションで一旦止まってくれた。

発砲するなら今しかない。

しかし、僕から見えているのは完全に後ろ姿だ。

体を撃てば肉に広範囲なダメージを与えてしまう。

頭を狙えばいいのだが、

標的はとても小さく、外す可能性もある。

そしてSのためには、

せっかくなら立派な雄鹿を獲りたい。

僕は銃を下ろし、弾を抜いた。

子鹿は自分が命拾いをしたことも知らず、

元気な足取りで母親の後を追っていった。






ようやく、草地の縁が見えてきた。

ゆっくりと森から出て覗く。

すると、どうしたことか。

あれだけたくさんいた鹿が一頭も見当たらない。

ここまで辿り着くのに時間がかかりすぎたのだ。

多少音を立てようが

もっと速く歩くべきだったと悔やむが、

時既に遅しだ。



気を取り直し、

鹿が消えた方向の森に再び入ろうとすると

突然、遠くから発砲音が鳴り響いた。

僕らが歩いてきたルートとは違う方向から

別のハンターが入っていたのだ。

特に驚くようなことではない。

最近は、狩猟可能なエリアが狭まっているため、

山の中で発砲音が聞こえたり、

実際に他のハンターに遭遇したりすることも増えた。

特にこの日は週末だったので

アプローチしやすいポイントには

必ず自分以外にもハンターが入っていると

思っておいた方がいい。



直後に、思いもかけない事が起きた。

森の中に入った鹿たちが

大挙して草地に舞い戻ってきたのだ。

次から次へと走り出してくる。

しかし、撃つにはまだ遠い。

僕は咄嗟に走り出した。

鹿の耳には、自分たちの足音が響き、

周りの音は掻き消されているはずだ。

そして彼らの注意は

発砲音がした方に向けられている。

今なら、大丈夫かもしれない。

頭を低くし、屈んだままでの全力疾走。

Sの目には忍者のように映っていたのではないだろうか。

幸運なことに、進行方向に大きな切り株があった。

僕は滑り込むようにして、その陰に隠れた。



切り株の上に銃を乗せて構える。

膝撃ちよりも銃が安定する。

しかし息が上がっていて、

スコープの中の鹿が上下に大きく動いている。

これでは当たらない。

鹿の中には右往左往しているものもいて、

すぐに全てが走り去ることはなさそうだ。

落ち着いて深呼吸をしながら

しばらく息が整うのを待つ。

その間に、じっくりと群れを観察する。

ほとんどが雌と子供だった。

どれを撃つか迷っていると、

左手から一頭、

角を振り立てながら雄鹿が出てきた。

彼だ。

彼しかいない。

スコープの中心に彼を据える。

ゆっくりと引き金にかけた人差し指を撓める。

どこから弾が飛んできたのかも分からないまま、

雄鹿は静かに大地に横たわった。



近付くと、雄鹿の目は見開かれ、微動だにしない。

血抜きのナイフはSに入れてもらった。

Sが生まれて初めて、

自分でとどめをさした鹿だ。

熱い血潮を、指先で直に感じてもらう。

Sが何を思っていたのか、僕には分からない。

しかし僕は、

Sと雄鹿との間に固い契りが結ばれたことを感じていた。

甥っ子に最高の体験をさせることができた。

しかし、そのために一頭の鹿の命が散った。

感謝、という単純な言葉では言い表せない感情が

心の中で渦巻いていた。






この肉は、Sと一対一の関係性を持つ

本当に特別な食べものとなる。

絶対に美味しい肉に仕上げなくてはならない。

雨が強さを増してくる中、

Sに手伝ってもらいながら

丁寧に解体を進めた。



角を持って帰りたいか聞くと、

頭蓋骨ごと持ち帰って頭骨標本にしたいという。

雄鹿の場合、肉だけでも相当な重さになる。

でも今日は二人だからなんとかなるだろう。

頭の皮は彼自身に剥いでもらい、

肉と一緒に背負ってもらうことにした。



解体が終わる頃、

ようやく雨が上がり、気持ち良い青空が広がった。

最後に、気管を枝にかける儀式を行う。

枝はSに選んでもらった。

不思議といつも、

気管を枝にかけると爽やかな風が吹き始める。

僕らは二人で頭を垂れ、

美しい雄鹿に感謝の祈りを捧げた。



肉は半分ずつにして、

Sが頭を、僕が毛皮を背負った。

帰り道は、苦行でしかない。

雄鹿の場合は尚更だ。

あまりの重さに足は震え、

ザックのショルダーストラップは

容赦無く肩に食い込んでくる。

肉の量が多いほど、

つまり成果が上がれば上がるほど、

辛さは増すばかり。

しかしこれも狩猟から得られる

大切な学びのひとつだ。

その証拠に、

車まで全てを運び切ったSの顔は

達成感と自信で眩しく輝いていた。





「疲れた?」と聞くと素直に頷く。

無理もない。



「また行くかい?」 と聞くと

「行きたいです!」と

弾むような声が跳ね返ってきた。



「できれば来週で!」



「えっ来週!?

 まあ、Sのお願いなら仕方がないか」

肩をすくめながらきっと僕は、

顔がほころぶのを隠せていなかったと思う。



そして叔父として、また駆け出しの長として、

自分の務めを果たせた安堵と喜びを

じっくりと噛み締めていた。









追記:

猟期最後の1頭は、

今期一度も狩猟に連れて行っていない

妻を同行させた。



立派な雄鹿が現れ、こちらを見ていた。

そして逃げずに、横に向かって歩き出した。

僕らも彼を横目に見ながら同じ方向に歩いた。

鹿はたまに立ち止まって僕らを眺め、

また歩くことを繰り返した。

そして徐々に僕らとの距離が縮まった。

僕は地面に座り、ゆっくりと銃を構えた。

彼は真正面からしばらく僕を見ていた。

身を翻して逃げるかと思いきや、

また横に向かって歩き出す。

僕は引き金を引いた。



彼は、倒れると同時に

2本の角をポロリと落とした。

少し早いが生え替わりの時期ではあるので

不自然な現象ではないが、

初めての体験だった。



なぜ彼は僕らに気付きながら近寄ってきたのか。

そしてなぜ両方の角を落としたのか。

この出来事をどう解釈すべきか

二人で語り合っているが、

当然ながら結論が出るはずもない。



止め刺しのナイフは妻が入れ、

解体も手伝ってくれた。

帰宅後、精肉は全て妻が自分でやりたいと言い出し、

二日がかりで丁寧に仕上げてくれた。








猟期最終日は、日没を山で迎えた。

最後の瞬間までそこにいることは、

僕にとってはひとつのけじめで、

儀式のようなものでもある。

終わったな…

夕暮れの空を見上げながら

半年の猟期を振り返るこの時間が、

僕は好きだ。

鹿も、熊も、木々も、空も水も大地も、

全てが愛おしくてたまらない。

車に戻ると、日はとっぷりと暮れていた。

小さな火を起こして山神にお礼を申し上げ、

猟場を後にした。









<2024年度 狩猟まとめ>

捕獲 : エゾシカ 11頭

内訳 : オス7頭/メス4頭

コメント

  • srkcblsdwpsf@gmail.com より:

    先日は久しぶりに会えて嬉しかったです
    僕とくみちゃんは
    この時期から鹿道を辿ります
    ミキオさんとは別目線ですが
    鹿を尊ぶ気落ちは近いのではないかと
    いつも思いながら森に入っています
    また同行したいです

    • huntermikio より:

      コメント、ありがとうございます。
      三本脚の鹿、懐かしいですね。
      いつかまた、山で会いましょう。
      どうぞ、お気をつけて。

  • 吉田信一 より:

    河崎秋子を彷彿させる文章ですね、生々しく生きる様、100年前まで、普通の暮らし風景だったはずなのに、
    だからこそ私達はその生き方に憧れるのでしょうか、おのれの知恵と経験そして体力を駆使して野山を駆け巡り糧を獲る
    そんな暮らしをしてみたい。

    • huntermikio より:

      数十年前における「普通の暮らし」をすれば、現代では異端児と思われそうですね。
      思い切り野山を駆け巡って生きてゆきたいのですが、実際は、狩猟で山に入っても、鉄塔が立ち並び、砂防ダムに出くわし、去年いい猟場だった森が全て切り開かれ、そこに単一の針葉樹が植樹されたり太陽光パネルが立ち並んだり、切ない思いもたくさんしております。
      北海道に和人が入ってくる前の森を、エゾオオカミが走り回っていた草原を、見てみたいものです…

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