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Potlatch




「オホウ! オホウ! オホウ! 」



長老の声が、朗々と響き渡る。

10月、初冬を迎えたカナダ・ユーコン。

白く染まった山々に取り囲まれ、

分厚く立ち込めた雲を映し出した

重苦しい灰色の湖。

そのほとりに立つ集会場の入り口に、

100人近い人々がたたずんでいた。



「オホウ! オホウ! オホウ! 」



長老の呼びかけに、

談笑していた集団が一気に静まりかえる。

彼は言葉を続けた。



「ワシは天空を舞う。

遥かなる高みより、全てを見渡し、美しき我らの大地を祝福する。

力強く羽ばたきながら、やがて我らの視界から消えて去ってゆく。

彼は探している。

一本の枝を。

或いは小さな岩棚を。

それは、永遠なる安息の地。

ワシはひたむきに翔び続ける。

いつの日か、彼は必ず見つけるだろう。

まごうことなき、自分だけの憩いの場所を…」



皆が、自分の心の中を見つめている。

僕も目を瞑り、ワシに心を寄せる。

頭の中の翼を広げて風に乗り、

意識を山の頂よりもっと上へ飛ばす。



あっという間に雲に入る。

翼に極小の水滴がまとわりつく。

白いベールを突き抜けた途端に

太陽がそれを乾かす。

吹き荒ぶ零下の気流にも負けない、

体内の鼓動を感じる。

神にも等しい視座を得たワシは

広大な大地を見晴らすと同時に、

全てのディテールを捉えている。

はらりと落ちるハンノキの葉。

オオカミの遠吠えにピクリと動いた子ジカの耳。

空を見上げたヒグマの瞳に映り込む自分の姿。

それでも、約束の地を見つけるのは容易ではない。

だからこそ、

彼は翔び続けることができるのではないだろうか。









今回のユーコンへの旅は、

「ポトラッチ」と呼ばれる伝統的な集まりに

参加するのが目的だった。

ポトラッチは、新生児の誕生や結婚祝いなど、

さまざまな動機によって行われる。

「贈りもの」或いは「贈与する」

という単語が語源となっており、

ホストが客人を食べきれないほどの料理でもてなし、

大量のプレゼントをするのが習わしとなっている。



この日に行われていたのは、

僕の師匠であるキースの、

亡くなった母親であるサラのためのポトラッチだった。

主催者は、キースと妹だ。

ポトラッチを主催することは

人生に何度もあるわけではない。

もう20年近くユーコンに通っているが、

ポトラッチに参加するのは僕にとって初めての体験だった。



サラが亡くなったのは10年も前で、

遺体は集落の墓地に既に埋められている。

今回のポトラッチは、

サラが眠る場所に墓石を設置するためのものだった。

キースと妹は、そのために周到な準備を進め、

多額の費用のための蓄財もし、

ようやくこの日に執り行うことができた。



墓石を立てるのは、

葬儀とは違って悲しみの儀式ではない。

永遠の安息を手に入れた節目ということだ。

長老による冒頭の言葉も、

ワシを暗喩として用いて

遂にその場所に降り立ったサラの人生を祝福し、

ねぎらっていたのだ。



儀式を取り仕切るのは、

サラが以前暮らしていた集落から来た

ワシのクラン(家系)のクランリーダーだ。



カナダ先住民は母系社会を形作っており、

生まれた子供は必ず母親のクランに属する。

クランには、それを象徴する生きものがいる。

サラはワシのクランだった。

だからキースも同様のクランとなる。

ただし、このクランは街によって

ワシを象徴にしたり、シャチを象徴にしたりする。

キース自身は、自分のことをシャチの家系だと名乗っている。



クランはいくつも存在するが、

それらはさらに大きく、2つのカテゴリーに大別される。

このエリアでは、オオカミとワタリガラスだ。

ワシ/シャチは、オオカミ側に属している。

一方、ワタリガラス側には、

ワタリガラスやビーバー、カエルなどのクランがある。

今回のポトラッチはオオカミ側が主催となり、

ワタリガラス側をもてなす形で行われた。

そしてキースの友人である僕は

オオカミ側の一員として準備を手伝った。











前日は朝から山に入って

テーブルに飾るためのモミの枝を切る。

終わるとすぐに家に戻り、

子供のエゾシカくらいの重さがありそうな

ヘラジカの左後脚を精肉した。

今年の9月にキースが自分で仕留めたものだ。

4人がけのテーブルが

脚一本を置いただけでいっぱいになる。





午後は会場に行き

ヘラジカの肉を料理人たちに渡した。

彼らは早速仕込みにかかる。

僕らは体育館ほどもあるホールに

ひたすらテーブルと椅子を並べ、

テーブルクロスの上にモミの枝を飾りつけた。





そしてポトラッチ当日を迎えた僕らは、

とにかくたくさん食べて腹ごしらえをした。

ポトラッチを主催する側は、

会場ではひたすら客人へのサービスに徹するため

夜に帰宅するまで

何も食べられないことが多いというのだ。








昼過ぎ。

「オホウ!オホウ!」

という長老の呼びかけで儀式が始まった。


一族の意志ということで

ポトラッチの写真や動画の撮影は禁じられていた。

安易に撮影できないからこその厳粛さと

かけがえのなさを感じる。


憩いの場を求めて飛ぶワシの姿を通じて

故人の安息を願う祈りが、

「グナチーシュ」(ありがとう)

という言葉で締め括られたとき。

思いもかけない、

そしてとても嬉しい発見があった。




長老が、何かを抱え上げるように

両方の手のひらを上にして、

ゆっくりと上下させる。

すると参列者たちも頭を垂れ、

同じ動作で長老に応えた。

その手つきには見覚えがあった。




僕は2年ほど前に北海道に移住した。

カナダに先住民がいるように

北海道はアイヌの人たちが暮らしてきた場所だ。

これまではカナダ先住民から学んできたが、

今後はアイヌの思想も知りたい。

和人ではあるが

地元のアイヌ文化保存会に所属し、

先祖供養やサケの豊漁などを願う儀式にも

参加させていただいている。

アイヌが祈りや感謝の気持ちを表現する「オンカミ」。

驚いたことにそのオンカミの動きが、

カナダ先住民がポトラッチで見せたものと

全く同じだったのだ。




僕らは文化を共有しているのかもしれない。

いや、きっとルーツは同じに違いない。

何世代前かは分からない。

しかし辿ってきた道を遡ってゆけば、

ひとつの場所に行き着くのだと確信した。




一瞬で胸が熱くなった。

彼らとの精神的な距離がグッと近くなる。

国籍や民族といった、

自己意識を包んでいた輪郭線がいきなりぼやける。

それらは本来、

淡いグラデーションの中でゆらめいていただけなのか、

或いは何かと分類や分析を好む現代人が作り上げた

虚構の仕切り板なのかもしれない。

知らず知らずのうちに着せられてしまった

実在しないユニフォームを脱ぎ捨て、

他者によって打たれた刻印を消し去ろう。

僕らは同じ身振りに、同じ想いを投影する兄弟なのだから。











サラの墓石のお披露目が終わり、

それが墓地に設置された後に行われた

「ファイヤープレート」という儀式にも、

アイヌ文化と多くの共通点が見られた。




アイヌが祈るときは必ず火を焚き、

米や麹、酒粕などの供物を炎にふりかける。

火の神である「アペフチカムイ」は

とても大切な存在だ。

人間は天界の神と直接話すことができないため、

アペフチカムイを通じてメッセージを届けてもらう。




カナダの先住民も、

ポトラッチの時には火を起こす。

薪に火がつけられると、

長老が立ち上る炎に感謝の祈りを捧げる。

続いてヘラジカの肉や甘いお菓子など、

キースの母親であるサラが

大好きだった食べものが火にくべられる。

煙に託し、故人のもとに好物を届けるのだ。











ファイアープレートの儀式が終わり

食事会が始まるまでの間、

少しだけ時間の余裕ができた。

僕は祭司を務めたエリック・モリスさんに

挨拶に行った。

そしてカナダ先住民とアイヌの共通点を説明し、

僕がどれだけ感動したかを伝えた。




エリックは驚くとともに

とても喜んでくれた。

上向きに開かれた手のひらは、

握られた拳と違って敵意のないことを示す

平和と感謝の象徴だという。

また、火は人間の体と心を温めて

生活を支えてくれると同時に、

全てを浄化する聖なる存在なのだと

教えて下さった。









パーティーが始まると、

僕もひっきりなしに働くこととなった。

食べものを配り、飲みもの配り、贈りものを配る。

キースが事前に教えてくれていたように

自分が食事をとる時間は一切なかった。

座って休むこともほとんどできないまま、

21時くらいにポトラッチは終了した。











翌週末。

僕はエリックが暮らす隣町を訪ねた。

隣と言っても

車で2時間かかるのが、

さすが広大なユーコンである。

前週、エリックが帰り際に

「来週は私の街でポトラッチがある。

良かったら遊びに来なさい。

家に泊めてあげるから

ホテルをとる必要はないよ」

と言ってくれた。

初対面の僕に対し、

なんと有難いお申し出だろう。

素直にご厚意に甘えることにした。

今回の旅は、なぜかポトラッチづいている。



前週と同じように

墓石のお披露目と設置、

そしてファイアープレートの儀式が行われた。

エリックはこのポトラッチでも祭司を務め、

全てを粛々と執り行っていた。



クランリーダーの役目は

ポトラッチや葬式などの祭司に加え、

クランの行動方針について最終決定を下すことや

トラブルの解決だという。

例えばもし、ワシのクランの誰かが

他のクランと揉め事を起こしてしまった場合、

彼は直接先方に乗り込むのではなく、

まずはエリックのところに相談に来る。

クランメンバーのやったことは、リーダーの責任でもある。

もし彼が誰かを殴ったのなら、

それは自分が殴ったのと同じ。

なぜそんなことが起きたのか、

そしてどうした良いのかを熟考し、

解決に向けて行動する。

これが長としての大切な役割なのだそうだ。

エリックは責任を持って

自分が率いるクラン全員の面倒を見る。

そしてメンバーは長の名を汚さないように自分を律する。

社会としての

あるべき姿を見たような気がした。









その後僕は、

今度はおもてなしを受ける側として

用意された席についた。



食事会が始まると同時に

オオカミ側のクランメンバーが

次々と食べものを配って回る。

まずは、クラッカーやパン、

バノックと呼ばれるスコーンのようなもの。

そしてサラダ。

グリーンサラダ、マカロニサラダ、ポテトサラダ、

全てが皿に盛られてゆく。

ボウルには熱々のスープがよそられる。



振る舞われるご馳走を

断ることは失礼にあたる。

ワタリガラス側の客人は

誰もが笑顔で皿を差し出し、

料理を盛り付けてもらう。

当然、完食できる訳がない。

だからポトラッチに招待された人は

余分の皿や保存容器をたくさん準備している。

食べ切れない料理は

それに入れて持ち帰るのだ。



続いては肉の波が押し寄せた。

スーパーで購入したと思われるのは七面鳥くらいで、

あとは全て住民が山で獲ってきた肉だ。



エリック自身も、長老ながら毎年ヘラジカを撃っている。

今年は9月に家のそばで3歳のオスを仕留めた。

解体や運搬は集落の友人たちが

力を合わせて手伝ってくれた。

長老自らが、一族のために肉を獲る。

これがユーコンの醍醐味だ。

だからこそエリックの言葉には、

人々を導く揺るぎない力が宿る。

もちろんその肉はポトラッチに提供されている。

エリックが仕留めたヘラジカの、鼻のロースト。

同じヘラジカの、頭の肉の煮こごり。

これほどに出自が明確で、

想いのこもった肉があるだろうか。

もちろん、味も抜群に旨い。



他にも、シロイワヤギやビーバーのステーキなど、

ユーコンならではの肉が振る舞われた。

全てが、

オオカミ側のメンバーの誰かによって

仕留められたものだ。



どれも見た目は迫力十分だったが、

最もインパクトがあったのが

ホッキョクジリスのローストだった。

頭を落として内臓を摘出したジリスを焼き、

上半身と下半身に切り分けただけ。

都会育ちの日本人が見たら

悲鳴を上げる人もいるかもしれない。

森林限界を超えた高度でキャンプする時の

定番メニューなので

僕にとっては見慣れた料理だ。

会場のゲストたちも

若い女性や子供たちを含め、

平気な顔をして美味しそうに食べていた。





肉が終わると同時に

ケーキやゼリーにフルーツなどの

デザートが振る舞われる。

食事には全部で3時間近くかかった。











儀式で使うために新しく作られた

シャチとワシがモチーフの仮面の

お披露目も行われた。

ネイティブドラムが打ち鳴らされ、

マスクを被った男性が伝統的なダンスを踊る。

ゲストの中にも立ち上がって踊り出す人もいる。

その時も両方の手のひらは上に向けられていた。











続いてはオオカミサイドからワタリガラスサイドに

プレゼントが贈呈された。

控室や倉庫、車から次々と手土産が持ち込まれてくる。

アウトドア用品、車用品、寝具などの大きなものから

食器、タオル、靴下などの日用品、

子どもたちにはおもちゃなど。

テーブルの上下、

通路までもが贈答品で溢れかえり

大変なことになっている。



僕は旅行者なのでプレゼントをもらっても

トランクには到底収まらない。

だから席を外し、

一部始終を壁際から見ていた。

印象的だったのが、

プレゼントを受け取る側はもちろん、

差し出す側の笑顔が抜群に輝いていたことだ。

溜め込む喜びより

分かち合う喜びが優っているのだろう。

嬉しくて嬉しくてたまらない、といった風に

贈りものを手渡してゆく。

古来この地では、

多額の財産を所有する人間よりも

ポトラッチで大盤振舞いした者の方が

よほど名声を得たという。

伝統は今も息づいている。

1時間後、

ようやく贈答が終了して

会場は落ち着きを取り戻した。











「オホウ!オホウ!オホウ!」

大きな声を上げたのは

今度は客人であるワタリガラス側の長老だ。

ワタリガラス、カエル、ビーバーのクランリーダーが

オオカミ側のもてなしに対し、礼を述べてゆく。



一人が言った。



「政府により、ポトラッチは長年禁じられてきた。

 しかし我々はようやく

自分たちの文化を、誇りを、

取り戻すことができた。

それは何世代にもわたる辛い道のりだった。

正義のために戦った者の多くは

既にこの世を去った。

今日この日があるのは彼らのおかげだ。

偉大なる祖先を讃えよう。

そして若者たちよ。

試練の時はまだ終わってはいない。

勇気と覚悟を持って歩もう。

私たちは決して諦めない」




大きな歓声が上がり、

割れんばかりの拍手が巻き起こる。

人々の頬が紅潮し、

見開かれた目は輝きを増す。









続いてエリックによって

遠方からの招待客が紹介され、

それぞれが挨拶を行った。



一番遠方から来た人間。

それは日本から来た僕だ。

前週が初対面だったにもかかわらず、

最後に僕の名も呼ばれた。

緊張のあまり、

僕は飛び上がるように立ち上がった。

エリックは言葉を続ける。



「ミキオは日本からやってきた新しい友人だ。

 彼はユーコンに20年近く通い、

 隣町のキース・ウルフ・スマーチのもとで

修行を積んできた。

 日本では本を書き、

講演会や授業をしながら

我らの文化を伝えているそうだ。

きっと今日のポトラッチの体験についても、

日本の人々に分かち合ってくれるに違いない」

200名は下らない人数の注目を浴びる。

会場は水を打ったように静かだ。

腹を括った。



「日本の北部、北海道から来たミキオです。

英語が下手で申し訳ありません。

この素晴らしいポトラッチに参加できたことを

心から感謝し、誇りに思います。



カナダに先住民がいるように、

北海道にも先住民がいます。

アイヌと呼ばれる人々で

僕は今、彼らからも学んでいます。



アイヌも皆さんと同じように、

日本政府により文化を取り上げられ、

儀式を禁じられ、言葉を失いました。

しかし今、アイヌも皆さんと同じように、

それらを取り戻すために戦っています。

私たちは同じ苦難に直面し、

同じ道を歩む同志です。



今回、とても感動したことがありました。

それは皆さんが感謝を述べるときの手の動きです。

アイヌも祈りの時に全く同じ身振りで、

感謝と敬意を表します。



これは、私たちが同じルーツ、

そして同じ魂を分かち合あう

兄弟だからではないでしょうか。

そのことに大きな喜びを感じています。



グナチーシュ」



僕が皆にオンカミし、

会場全体が僕に対して同じ動作で応えてくれた。



全てが終わり、

エリックの家に戻ったのは深夜0時だった。









翌朝。

ゆっくり寝て8時ごろに起きた。

エリックも寝室から出てきた。

ユーコンの日の出は遅いので

8時でもまだ暗い。

この日が旅の最終日。

空港でレンタカーを返し、

飛行機を乗り継いで日本に帰る。

名残惜しいが仕方が無い。

僕は感謝の言葉を述べ、出発することにした。



エリックは僕の手を強く握り、喋り始めた。



「昨晩、

ミキオがどんな人間かを

この街の皆が理解した。

 ミキオの言葉は我々の心の奥に刻まれ、

 忘れる者はいない。

 だからいつでも戻って来なさい」



続いて聖なる四種の植物、

セージ・スイートグラス・

イエローシーダー・タバコをブレンドした

スマッジと呼ばれるお香を焚いてくれた。



そして旅路の安全と、

大いなるものが

正しいことを行うための力を

僕に授けてくれることを

祈ってくれた。



「どこに暮らす人間であっても、

 生きてゆく上で大切なことは変わらない。

 慈悲、誠意、勇気、知恵、真理、愛。

 何よりも、敬意を忘れてはならない。

大地、水、そこに生きる全ての生きものへ。



そして感謝。

母なる大地に、祖先に、大いなるものに、

常に感謝の心を持つこと。

日本の仲間たちに、

ミキオの言葉で伝えてくれ」



涙が溢れ、鼻水で顔がグチャグチャになるが

そんなことはどうでもいい。

オンカミしながら

エリックのメッセージを、

かけがえのない宝を、

僕の心の奥底に刻みつけた。



「太陽と共に歩みなさい」



それが別れの言葉だった。

ちょうど朝日が昇ってきた。

純白の雪に覆われた山の頂が

ほんのりと赤く染まっている。



世界はなんて美しいのだろう。

毎日朝日が昇ってくれることは

なんたる奇跡なのだろう。

今日この日という

新しい世界の幕が上がり、

今日の僕が誕生する。


車のエンジンをかけ、

強さを増す太陽の光と

エリックの温かい眼差しを背中に感じながら、

西へと走り始めた。








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