2023年1月22日
虫彦、というあだ名を
彼につけたのは、いつのことだったろう。
先週、彼と山に入り鹿を追った。
これは虫彦が
ほんの少しだけ、鹿彦になった日の記録だ。
平井文彦。
昆虫を中心に、超スローモーション映像を撮影するカメラマンだ。
蝶の飛翔、
カブトムシを投げ飛ばすノコギリクワガタ、
ミツバチを襲撃するオオスズメバチ。
文彦が駆使するハイスピードカメラは、
いわば時間の顕微鏡。
顕微鏡が物質を拡大することで
人間の視覚では捉えきれない構造を詳らかにするように、
時の流れを大きく伸展させた彼の動画は
瞬きをする間に終わってしまうほどの動きに秘められた、
緻密かつダイナミックなドラマを余すところなく描き出す。
そして特筆すべきは、文彦の愛情深い眼差しだ。
幼いナナフシがピョコピョコ歩きながら
毛虫と出会ったり、クモの糸を弾いたりする様子を描いた作品は
あたかも自分が小さな友人と一緒に
散歩をしている気分にさせてくれる。
ナナフシと、文彦の指先が握手をして締めくくるという
可愛らしいエンディングも秀逸だ。
元々飛ぶのが下手なアシナガコガネが、
羽ばたき始めると同時に落下していく映像は
滑稽で笑いが止まらない。
無様というか、間抜けというか、
「羽があるくせに、なんと不器用な」と
哀れにも感じてしまう。
しかしそれを何度も繰り返し見せられる内に、
「アシナガコガネ、がんばれ!」という気持ちが湧いてくる。
きっとそれは文彦が、
そう願いながら彼らを見つめているからだ。
飛びたいが、飛べない。
何回となく失敗を繰り返す。
徐々に我々は、そこに自分たちの姿を投影し始める。
いくら挑戦しても報われなかった、という経験は
人間、誰しもあるはずだ。
ありし日の苦い思い出がフラッシュバックし、
当時の辛い気持ちが蘇ってくる。
しかし、昆虫の思考回路はシンプルだ。
人間のように失敗を恥ずかしがりもしなければ、
落ち込みもしない。
何度落下しようが、本人は一向にお構いなしで
ただひたすら、力一杯に羽を打ち振る。
そしてようやく一匹が大空に飛び立った時。
観客はガッツポーズと共に、大きな歓声を上げる。
「大丈夫。諦めさえしなければ、いつかきっとできるさ。」
1センチにも満たないちっぽけな甲虫の営みが、
私たちに大きな希望をもたらしてくれるのだ。
そうした動画を、彼がサイトにアップすると、
時に何万もの「いいね」が押され、
世界各国から賛辞のコメントが送られてくる。
NHKスペシャルの昆虫撮影、
「所さんの目がテン!」への準レギュラー出演、
学研の図鑑や、
美術館やスカイツリーをはじめ各所での映像展示、
ナショナルジオグラフィックへの映像提供など、
最近の彼の活躍ぶりには目を見張るばかりだが、
さらに驚愕するのは、
彼が撮影を始めたのが、たった6年前だということだ。
生来の、物事を突き詰める性格のせいか、
突如花開いた才能のもたらしたものなのか。
虫についても、撮影についても全くの素人だった人間が
短期間のうちにこれだけの成果を出したことは、
まさに「好きこそものの上手なれ」という言葉が
厳然たる事実であることを物語っている。
文彦との付き合いは古く、出会いは15年以上前に遡る。
私はまだ自分が狩猟をするとは思っておらず、
文彦も動画撮影などしたことはなかった頃の話だ。
同い年で、不思議と趣味が合い、
音楽でもアートでも、共通のアーティストを好んでいた。
一方で、性格は全く違い
私はせっかちで強情、
文彦はいつものんびりして柔らかい空気を纏っていた。
私は滅多に物事を他人に相談することはないが、
彼は数少ない例外だった。
私が北海道で勤務をしていた頃、
東京出張があれば、彼の家に泊まらせてもらい、
文彦はいつも手料理で温かくもてなしてくれた。
去年の4月、6年に及ぶ北海道生活を終え
久方ぶりに東京に戻ってきた時のこと。
狩猟はおろか、釣りや山菜採りもできない寂しさから
救ってくれたのも文彦だった。
北海道では銃を担ぎ、
何人もの狩猟同行希望者と鹿を追った私を、
東京ではカメラを携えた文彦が
昆虫撮影に連れ歩いてくれた。
行き先は大自然の中ではなかった。
六本木、渋谷、池袋。
高層ビルが立ち並ぶ大都心を
1日中歩き回った。
五十を超えた男二人が、
まるで子供に戻ったかのように
はしゃぎながら虫を探す。
クラクションを鳴らしながら走り抜ける自動車や
何かに追い立てられるようにあくせく歩く人間たちを
一切無視しながら、
彼らは逞しく暮らしていた。
大概の人にとって、虫は野生生物の入門編であろう。
北海道でもない限り、鹿などを日常生活で見ることはないだろうし、
野鳥はたくさんいても、手にとって観察できる訳ではない。
手近な石をひっくり返して拾った
ダンゴムシを愛でるところから始まり、
徐々にチョウやセミ、
そしてカブトムシにクワガタと階段を登っていく。
昆虫の種数は、分かっているだけでも100万種。
地球上の全生物の種数のなんと6割を占める。
誰もが最初に手にとる入門書でありながら、
最も奥が深い分野でもある。
見つけたそれぞれの虫をしげしげと眺め、
文彦の解説を聞きながら、
私はその深淵を少しだけ覗かせてもらうことができた。
みかんの葉にはナミアゲハの幼虫が蠢き、
シモツケのピンクの花の上には
シモツケマルハバチの幼虫が虹を描いていた。
植え込みの中には、
陸に住む貝であるヤマタニシの姿もあった。
最も心がときめいたのは
文彦が教えてくれた秘技、その名も
「樹木プレートめくり」だった。
街路樹や公園の木に取り付けられた
「ケヤキ」「イチョウ」といった小さなプラスチック製の板。
ゴツゴツした幹とプレートとのわずかな隙間は、
小さな生きものにとってはまたとない隠れ家となる。
プレートをめくるのは、
まるで宝箱の蓋を開けるのと同じような気持ちだ。
そこにヤモリを見つけた時は、本当に感動した。
それは、この大都会でも、
彼らを養うだけの虫が存在することを意味する。
樹木プレートの裏には、子供のアオダイショウも隠れていた。
子供が産まれている、ということは、親もいるはずだ。
大きなものでは2メートルを超えるヘビが
人知れず人々の足元を這っているのだ。
なんと素晴らしいことだろう。
生きもの、という目線を持つだけで、
普段の通勤や通学の風景はガラリと変わる。
目線は、なんでもいい。
例えば、建築を志す者にとっては、
街中の構造物は全て生きた教材であろう。
文彦と、虫を探しながら歩く街は
リアルな宝探しの冒険であり、
全くお金にはならないが、
限りない喜びをもたらしてくれた。
そして先週。
今度は私が文彦を、鹿撃ちに誘った。
我が家に前泊してもらい午前3時に起床、
レンタカーで一路、猟場に向かった。
東京に引っ越してきてから、狩猟の環境は激変した。
猟場を教えてくれる仲間もいなければ、
こちらでは駐車場もないため、車も手放してしまった。
極限られた情報を頼りに、
自宅からレンタカーで通える範囲で狩猟ができそうな場所を探した。
関東の猟期の解禁は11月。
それから数回、目をつけていた場所に通ったが、
まだ一頭も鹿を獲っていなかった。
猟期前に下見をした時は、それなりに痕跡があったので
そのうち獲れるだろうと思っていたが、読みが甘かった。
こちらのハンターは犬を使う人が多い。
犬は、人間には比べようもない機動力で鹿を追い立てる。
猟期が始まると、鹿は一気に山奥に移動してしまい、
私が自力でアプローチできるエリアからは
ほとんど姿を消してしまった。
しかし何度か通う中でようやく地形を覚え、
鹿が多いポイントを把握し始めた。
可能性は低いが、
以前から狩猟に同行したいと言っていた文彦のため、
なんとか一頭、獲りたいと思っていた。
深い霧の中、日の出と共に、二人で歩き始めた。
前日から雨が降っており、足元がぬかるんでいる。
案の定、文彦は足が滑って歩くだけも大変そうだ。
私は持っていたストックを文彦に手渡した。
ストックは歩く時だけではなく、
銃を撃つときに先台を乗せて安定させる時にも使う。
なので文彦に預けてしまうと、
いざ射撃という時の安定性に欠けてしまう。
しかし、文彦が私について来られなくなってしまうのも困る。
急な坂をストックがないまま
脚力だけで一歩一歩登っていく。
それでもしばらくすると、文彦と距離が空いてくる。
振り返って見ると、相当にしんどそうだ。
私はそのままマイペースで歩き続けることにした。
ポイントによっては、長時間止まって
周囲を虱潰しに双眼鏡で覗く必要がある。
そこで追いついてくれればいい、と思っていた。
最初の急坂を登り切る。
ここからはそろそろ、鹿が出る可能性がある。
数歩歩いては止まり、木々の間に鹿のシルエットを探す。
夢中になって進んでいると、文彦の足音が聞こえないことに気付いた。
分かりやすいルートなので迷うことはないと思いながらも気になる。
来た道を戻ることにした。
文彦は立ち枯れした大木の根元に腰掛け、
ザックを下ろして汗を拭いていた。
ズボンは泥だらけだ。
何度か転んでしまったのだろう。
しばらく休むので先に行ってくれ、と言う。
私は、進むルートを説明し、一人で先に行くことにした。
霧のせいで視界は悪い。
50メートル先はもう見えない。
これでは鹿は見つけられないと諦めそうになった時、
カサッという微かな音が聞こえた気がした。
歩くのをやめ、全神経を耳に集中させる。
しばらくして、また音がした。
音で獲物を判断するのは難しい。
必死に耳を澄ませている時、音は意外に近くに感じるもので、
体のサイズも、大きく感じてしまう。
薮の中から響いてくる音の主をじっと待ち受け、
いざ姿が見えたらキツネやタヌキ、
さらには鳥だった、ということさえある。
鹿を撃ちに来ているので、どうしても鹿だと思いがちだが、
決めつけてはならない。
姿が見えないことには引き金は絶対に引けない。
そばにあった木の影に隠れ、
気配を消してゆっくり待つことにした。
音は少しずつ近付いている。
よく聞くと、動いているのは1匹ではない。
キツネやタヌキなら、この時期は単独だろう。
シカは通常、数頭のグループを形成している。
ヤマドリが群れている可能性もあるが、
これはもっと体重があるものが立てる音だ。
鹿だと確信した。
目をつぶったまま、出てこい、出てこい、と念じる。
そのまま数分が経過した。
遠くからザーッという音が聞こえてきた。
風が木々を揺らしているのだ。
目を開ける。
頬に大気の揺らぎを感じると共に、
真っ白な霧が少しだけ薄くなった。
斜面の下、60メートル程のところに
彼らの姿が浮かび上がった。
5頭の群れだった。
ストックはないが、私は地面に完全に腰を下ろし、
上体はしっかりと木に寄せかけ、
体勢は安定している。
全ての条件が整った。
銃弾を装填する音に、ハッと顔を上げるシカたち。
既にスコープの中心に、一頭を捉えていた。
美しいメスが、まっすぐに私を見ている。
銃声が沈黙を破る。
飛び上がって逃げ出すシカの群れ。
カーテンの幕を引くように、霧がその後を追いかける。
視界が再び遮られていく中、
その場に昏倒している一頭のシルエットを、私の目は捉えていた。
斜面を駆け降り、シカの元へと急ぐ。
唇が微かに痙攣し、目からは急速に光が失われていく。
一礼し、首の付け根から心臓にめがけてナイフを入れた。
頭を斜面の下方向に向けると、
重力の力も相まって傷口から大量の血が噴き出す。
この血抜きの出来不出来が、肉の味を左右する。
大丈夫、この子は美味しい肉になる。
撃つ瞬間を見ることはできなかったものの、
解体は文彦にも体験させてあげたい。
私は一旦降りた斜面を再び駆け上がり、
文彦が休んでいた立ち枯れの木を目指した。
銃声は彼にも聞こえていたらしく、
途中でこちらに歩いてくる姿が見えた。
しかし、滑りやすい靴底のせいか
やはり足元がおぼつかない。
安全第一でゆっくり来てもらうようにお願いし、
またしてもシカの元にひた走る。
私は鹿を木の枝に吊り上げて解体する。
いい枝ぶりの木の根元まで
鹿を引きずって移動させたあたりで
ちょうど文彦が追いついた。
初めて目の前で撃たれた鹿を見て、彼はどう思ったのだろうか。
休む間もなく、ザックを広げて解体道具を取り出す。
文彦はカメラを取り出し、撮影の準備を開始した。
雨がパラパラと降ってきた。
大急ぎで解体を進める。
弾は首に入っていて
食道からは茶色い内容物が覗いていた。
通常は草や葉を食べているので緑の場合が多いが、
この鹿はどんぐりを食べていたようだ。
豚で言えばイベリコ豚。
肉の味にますます期待を持った。
喉から気道を取り出す。
それを文彦に、木の枝にかけてもらうようお願いした。
私に狩猟を教えてくれた、カナダのクリンギット族の師匠からの教え。
もう空気が通らなくなってしまった気道を風通しの良い枝にかけ、
そのように、彼らが再び息ができるようになり
また新たな命の循環の中に入っていけるように祈る。
その儀式と意味については
既に文彦に伝えてあった。
これは、私と文彦の鹿。
皮を剥ぐ時には、彼にも手伝ってもらった。
北海道のシカに比べ、はるかに小ぶりではあるが
肉1頭分全てを背負子にくくりつけると、かなりな重量になった。
全て私が背負った。
転んで肉が泥に塗れるのは絶対に避けたいので、
帰り道は私がストックを使った。
文彦が休んでいた立ち枯れの木に差し掛かった。
休んでいる間、時間を持て余さなかったのかと尋ねたところ、
その答えは、やはり彼ならではのものだった。
「コブヤハズカミキリが越冬しているんじゃないかと思って、
枯葉をずっとめくって探していたから、全然飽きなかったよ。」
さすが、と思った。
そしてますます、彼が好きになった。
文彦の心は、鹿撃ちに来ても、やはり虫と共にあったのだ。
鹿が獲れた今、もはや声をひそめる必要はない。
少しずつ霧が晴れ始めた山を、
大声で笑いながら降りた。
平井文彦 YouTube Channel
https://www.youtube.com/@FUMIHIKOHIRAI
ナナフシ君の歩き方講座
七転び八起き(アシナガコガネ)
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