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聖地巡礼




これは、2020年度の猟期、

最後の三日間の記録。

最も思い出深い三つのエリアを、

感謝の念を込めて、一日ずつ巡った。

総移動距離は軽く1000kmを超え、

日本海、太平洋、オホーツク海へと旅した。

これがハンターとしての私の、

巡礼の旅だ。






【3月29日 日本海沿岸】



自宅から最もアクセスの良い猟場。

今年から通い始めたが、何頭も獲らせていただき、

色々な人たちと深い感動をシェアした。

前日まで、弟分のTと山中泊していたため、

流石に夜明け前からの出動は諦め、

午後、短時間でアタックをかけることにする。



同行者のMは、あまり山登りなどの経験がない。

体力にもそんなに自信がある方ではないが

やはり私の狩りに同行してみたいと言う。

彼女でも歩けそうな、距離が短く、傾斜も緩く、

かつ鹿に遭遇できそうなコースを選んだ。



現場に向かう車の中。

何本かの川を渡るのだが、水が茶色い。

大量の雪解け水が、土を削り取って運んでいるのだ。

日本海に出ると、河口付近の海までもが茶色に染まっている。

渓流の魚たちは、

泥水の中でどうやって暮らしているのだろうか。

季節が巡る凄まじいエネルギーを感じる。



ポイントにつき、まずは雪の状況を確認する。

車を停めたあたりはかなり雪解けが進んでおり、

スノーシューは必要なさそうだ。

鹿の足跡は多くはないが、

新しいものもちらほら見受けられる。

2月はゾンメルスキー、

3月はスノーシューで歩いてきたルートを

この日は長靴で歩き始めた。



林道から森へ入っていく場所で歩みを止めた。

一見、地面は全て雪に覆われているが、

ところどころに穴が空いている。

中を覗くと、下には小さな流れがあった。

斜面全体に網を張りめぐらしたかのように水が流れているのだ。

雪を踏み抜けば、その水に落ちてしまう。

そもそも流れの深さもよく分からない。

長靴の私でも見えない水は怖い。

トレッキングシューズのMは尚更だ。

何かあったら私は彼女を助ける自信がない。

そのコースは諦める判断を下し、

私達は来た道を引き返した。





日没まではあと2時間。

これからでも鹿が撃てそうなポイントを考える。

とにかく、一番雪解けが進んでいそうな

ぬかるみが少ないであろう場所に決めた。

焦ってはならないと思いながらも、

車で20分ほどの移動がとても長く感じる。



このポイントは最初の斜面の直登がきつい。

その後も更に山を登っていくこともできるが、

遅い時間からでは難しいので、

斜面沿いに標高を上げずに

横方向に歩いていくことにした。



藪を漕ぎながら坂を上りきったところで、

すぐに若いオスと鉢合わせする。

あっという間に逃げられるが、鳴かれてはいない。

周囲に他にも鹿がいれば

勘付かれずにアプローチできる可能性もある。



足音が立たないよう、

できるだけ土だけの獣道を探してそこに乗る。

尾根筋に隠れながらゆっくりと登っていく。

すると、目の端に動くものを捉えた。

鹿の群れだ。

急な斜面で草を食べている。

こちらには気づいていない。

低い姿勢で歩いていたので

そのまま座り込みむ。

鹿が藪に隠れる。

出てこい、出てこい、と祈っていると

一頭のメスがゆっくりと歩き始め、

ほぼ全身が見える場所に出てきた。



発砲。

一瞬、そのメスがずるっと転ぶのが見え、

群れは走り去った。

転んだメスに、弾が命中したのか、

それとも驚いて足を滑らせただけで

走り去ってしまったのか、

角度が悪く、よく分からなかった。



半信半疑で坂を駆け上る。

あたりに既に鹿の姿はない。



少し下に降りて血痕を探すと、

枯れた笹にべったりとついた血を見つけた。

そのまま斜面を降りていくと、

事切れたメスの姿があった。



すぐにMに止め刺しのナイフを入れてもらう。

その瞬間は無心だっというM。

綺麗に血が抜けていく。

Mと鹿を二人きりにし、私は鹿を木に吊るせる場所を探した。






下が土や落ち葉だと、肉が汚れやすい。

少しでも雪が残っている場所を見付けたい。

急な斜面を、必死に20メートルほど鹿を引きずる。

ようやく、下に雪がある良い枝ぶりの木にたどり着き、

足場は悪いながらも、きちんとした解体をすることができた。






最後は真っ暗な中での作業。

撤収を始めたあたりでポツポツと雨が降り出した。

勢いを増す雨。

木に吊るすロープや滑車をまとめ、

肉を背負子にくくりつけるあたりになると

ザーザーと降って来た。

大慌てでパッキングを済ませる。



Mは防水のスキーウェアを着ていたのが幸いだった。

私は、寒さより暑さ対策を重視していたために軽装で

きちんとした防水のアウターも持っておらず、

ずぶ濡れになる。



ようやく歩き出す頃には、雷鳴が鳴り響き始めた。

天候の急変は山の怖さでもあるが、

大自然の凄まじいパワーを感じることができるのは無上の喜びで

私はテンションが上がって、雄叫びをあげながら歩いていた。



何度も何度も足を滑らせる。

そして何度でも起き上がる。

下着まで全てぐっしょりだが、

この肉は絶対に山から下ろしてみせる。

レバーとハツをリュックに入れたMも

懸命に後をついてくる。

傾斜はきついが、車までの距離は遠くはない。

道を間違えなければ大丈夫だ。

大雨で土が流されていく中、

自分が進んできたわずかな痕跡を辿る。



ようやく車に辿り着く。

ずぶ濡れのアウターからは

軽く絞っただけで大量の水が落ちる。

肉や装備をトランクに放り込む。

エアコンを全開にして走り出した。



肉を欲しがっていた友人たち数人のところを車で周り、

Mを家に送り届けたところで時間は既に23時近く。





そこから私は、次の日に狩猟同行を希望していた

Yの家に向かった。






【3月30日 オホーツク海沿岸】



環境調査の仕事をしているYは、

普段から山に入り慣れている。

Yの希望は、山を歩くことではなく、

あくまでも鹿を獲る現場を見ることだった。



雪が少なくなり、

鹿が獲れない日も出てきた中、

確実に鹿を捕獲するためにはどうすべきか。

数日前、オホーツク海沿岸の漁師から

送られてきた写真が印象に残っていた。

巨大な雄鹿が群れで写っている写真だ。

私がいつもいく猟場より、雪が多い北の大地。

その雪が少し溶けることで

ようやく姿を現すことになったという。

オホーツクの鹿はとにかく大きい。

12月頭、私の中では最大の

86センチの角を持つ大鹿を仕留めた

思い出深い場所でもある。



距離は片道300キロ近くと、

とんでもなく遠いが、

今年お世話になった猟場と鹿達に

お礼参りに行くのも悪くない。

Yも運転を代わってくれるという。

心を決めた。



夜明けは5時半。

現場についての諸々の準備を考えると

5時には到着したい。

だとすると札幌を0時半には出なくてはならない。

そして23時の時点で、

私はずぶ濡れのドロドロ。

気狂いじみた行動としか思えないが、

一度思い立ったら衝動は収まらない。



Yをピックアップし、まずは我が家に向かう。

アウターの上下は泥がジャリジャリしていて

そのままでは洗濯することができない。

あまり面識もない女性には申し訳ないことではあるが、

Yに風呂場で泥を洗い流してもらう。



その間に、服同様にドロドロになった銃を掃除し、

解体道具を整理し直し、ナイフも研ぎ直す。






一頭解体したくらいでは

ナイフの切れ味はそう落ちないが、

私は、使用後は毎回研ぐように心がけている。

止め刺しの時、

鹿が、自分が刺されたと気づかないくらいに

すんなりとナイフが吸い込まれてゆくように。

獲れるか獲れないに拘らず、

そのために最大限の準備をする、というのが

鹿に対する最低限の礼儀のように感じている。



Yが洗ってくれた愛用のアウターを

洗濯機に放り込む。

オホーツク沿岸で猟をする時には、

車で広範囲に鹿を探す流し猟がメインのスタイルとなる。

自分一人で山を歩く忍び猟でなければ、

いつものアウターでなくても大丈夫なはずだ。

出撃の準備は整った時には、

時計の針は午前1時を指していた。



そのまま一切休まずに車に飛び乗る。

Yも私も完全に徹夜の覚悟だ。

ガソリンを満たし、コンビニで大量に食料を買い込み、

高速を走る。






解体した肉を入れる、伸縮性の高い布袋は

血を洗い流して絞ってきただけ。

ダッシュボードに6枚の肉袋を並べ

カーエアコンで乾かす。

すごい勢いで蒸気が上がりだし、

ジムニーの中はまるでサウナのようだ。






なんだかとにかくよく分からないのだが

テンションだけは上がっていく。

私の狂気がYにも乗り移ったのか、

走るミストサウナの中、

私たちは大声で叫び、ゲラゲラと笑い合いながら

一路オホーツクを目指した。



高速を降りてしばらくしたところで

Yに運転を代わってもらい、

気絶したように寝る。

1時間ほどして目をさますと

あたりは既にぼんやりと明るくなってきていた。



地形が全て頭に入っているわけではないが、

前回、この角を曲がった先に群れがいた、などの情景は

断片的に脳裏に浮かぶ。



夜明けと同時に、最初のポイントが近づいてきた。

銃を準備し、弾を握りしめ、

助手席から目を皿のようにして鹿を探す。



そして、その曲がり角を曲がった瞬間。

いきなり出た。

何頭もの群れが車に驚いて走り出した。

後ろからもまたどんどん鹿が出てくる。

車を飛び降り、路肩を降りる。

一頭が立ち止まった。

立派な雄だ。

スコープで覗くが遠い。

倍率を最大の12倍まで上げ、覗き直す。

指を引き金にかけたところで

全てを見透かしていたかのように走り去って行く鹿。

残念。

ファーストコンタクトで仕留めることはできなかった。



気を取り直し、以前通った道を、

ログを見ながら進む。

すると、さすがはオホーツクエリア、

すぐに次の群れに遭遇した。

今度はメスと子供の群れだ。



またしても車を飛び降りる。

スコープを覗いたまま動きを追う。

群れの中のニ頭が止まった。

親子だろうか。

大きい方に狙いを定める。

開けた場所では、見た目より鹿の距離は遠い。

少しだけ上方に狙いを補正する。

ゆっくりと撃鉄を落とす。

オホーツクまで来た甲斐があった。

時間はまだ朝6時前だった。



倒れている鹿に駆け寄ると

大ぶりのいいメスだった。

まだほんの少し、意識がある。

この状態での止め刺しは精神的にはきつい。

しかし、Yは止め刺しも解体も体験したいがために

徹夜で車を走らせてくれたのだ。

刺すべきポイントを説明し、

私が頭を押さえる。

Yがナイフを突き立てる。

大量の血が大地に流れ、

鹿は眠るように息を引き取った。






解体道具を取りに一旦車に行き

再び戻るとYの目に大粒の涙が溢れていた。

泣く人、淡々と作業を進める人、放心状態になる人。

人によって反応は様々だが、

全てが真剣で、命と正面から向き合う

かけがえのない瞬間のはずだ。






木に吊るし、解体を始める。

最初に肛門を抜いた時から薄々感づいていたが、

皮を剥ぎ始めて驚いた。

分厚い脂肪に覆われているのだ。

こんなに栄養状態の良いメスは見たことがない。

今までで一番美味しそうだ、というと

Yも嬉しそうな顔になった。

皮もなめしに出したいということで、

全ての過程を丁寧に行う。

2時間半をかけ、納得のいく解体ができた。





その後も、以前走った道を一通りチェックしたが

積雪で入れない部分も多く、

新しいルートも開拓すべく色々と走ってみたが、

良い出会いもなかった。

しかし、美しく、見事な肉を

持ち帰る事ができる喜びは大きく、

Yにとっては逆にその一頭ときちんと向き合った

感動や感情が薄まることがなく、

それはそれで良かったのかもしれない。



帰りは再び私が運転して札幌に戻り、

再び知人に肉を配り、

家に着いたのは22時を過ぎ。

この日だけで、走行距離は700キロを超えていた。






【3月31日 太平洋沿岸】



半年にわたるエゾシカ猟期の、本当に最後の日。

寂しい気持ちで、ゴソゴソと昼前に起き出す。



ここまで、二ヶ月近く、

ずっと誰かを狩猟にお連れしていた。

狩猟を通じて命の美しさや

不思議さを伝えたいと思っている私にとって

とてもやり甲斐のあることであり、

大きな喜びと悲しみを同時に皆さんと分かち合える

大変貴重な体験でもあった。



しかし最後のこの日は、一人で山を歩くことにした。

行き先は、狩猟を始めた年からずっと通っている

太平洋沿岸のエリア。

一番愛着があり、沢山の思い出が詰まった場所だ。

銃は持ったが、獲れても獲れなくてもいい、と思っていた。



すっかり暖かくなった森の中に車を停める。

冬の間はこんな奥まで車で来ることはできなかった。

何度も歩いた林道が、まるで別の場所のように見える。

普段なら春の喜びに感じる暖かな風を

この日の心は切ないものとして捉える。

そして切ないからこそ、全てが愛おしい。



歩き出すと、

足元から小さな茶色い生きものが飛び出した。

冬眠から目覚めたエゾアカガエル。



あの極寒の冬をよく耐え抜いたものだ。

大きくぽってりとした体は多分メスだ。

お腹にはたくさんの卵が詰まっているのだろう。

気持ち良さそうに陽の光を浴びていたカエルは

しばらくすると草むらの奥へと、

元気に飛び跳ねていった。





小さく膨らんだ、可愛らしい花芽は

何かのヤナギのものだろうか。

まるでギンギツネの毛皮のようにシルバーに輝く毛並み。

暑いよ暑いよ、と囁く声が聞こえる気がした。

この子らが分厚いコートを脱ぎ捨て花粉を飛ばし、

春の歌を唄い出すのももうすぐだ。





鹿の毛も生え代わりが始まっている。

ごっそりと束になって抜け落ちた毛は

この時期特有のもの。

もう少しするとメスを巡って戦ってきた

立派な雄鹿の角は落ち、

季節外れの冬芽のような

ベルベットに包まれた可愛い袋角が成長を始める。






木の幹についていたのは

エゾハルゼミの幼虫の抜け殻か。

きっと前の年からずっとここにしがみついていたのだろう。

鹿ばかりを探してきたので、

いつも歩く道の、こんなに目の前にあったのに

全く気づかなかった。

初夏の夜には同じ木を、

次の世代の幼虫が登るのだろう。

そして、背中が割れて真っ白な成虫が出て来る

あの神秘的なドラマが繰り返されるに違いない。






少しでも山に恩返しをしたいと、

目につくゴミはできるだけ拾うようにした。

全てのポケットが膨れ、

レバーやハツを入れるために持っていた

数枚のビニール袋も一杯になった。



私のつま先を凍えさせていた雪道には

たくさんの福寿草が咲いている。

お椀状に開いた花びらで

太陽の熱を集め虫を呼ぶ花。

春の日差しを抱え込んだような

暖かな黄色に輝く。

小さな花を踏まないように気をつけて歩く。

鹿も同じように、可憐な花があればその美を感じ、

よけて歩くものなのだろうか。






この場所で何頭かの鹿を仕留めた。

全ての状況を、

今は正確に思い出すことができる。

しかしその記憶も、

季節の移り変わりとともに少しずつ薄れ、

大地から雪がなくなるように

心のどこかに吸い込まれていくのだろう。

それは悲しくもあるが、

また新しいものと出会い、

吸収するために必要な過程なのかもしれない。



私が撃った鹿が倒れていたところ。

大いなるものに還っていった場所の

全てを巡った。



その間、何回か鹿は出たが、もう撃つことはしなかった。

冬を生き延びた鹿は

初夏には新しい命をこの世に送り出す。

この日は、鹿を獲るより、

そのことを想像することの方が楽しかったのだ。

よくぞ生き延びてくれた。

ありがとう。





帰りたくない。

ずっとここにいたい。

日没の時を山奥で迎えたくて

ゆっくりゆっくり稜線を登った。



本当にこの世界は美しい。

生きとし生けるもの、全てが愛おしい。





最後の夕陽が落ちていく。

写真を撮ると、

太陽に輝く鹿の目と同じ、

エメラルドグリーンの光が映っていた。





鹿が、私を見ている。





私は、鹿を見ている。





光が、私たちを見ている。



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