2025年11月19日

全身が凍りついたヒグマの姿に、
目が釘付けになった。
今から1年ほど前。
カナダ・ユーコン準州の
インフォーメーションセンターで見つけた、
州内の観光用フリーペーパーの表紙。
「ICE BEARS」と銘打たれたクマは、
オーロラの空をバックに小川の中に佇んでいた。
顔の中心以外は氷だらけで、
クマが白い着ぐるみを着込んでいるようだ。
ちょっとコミカルで、
まるで何かの漫画のキャラクターのようにも見える。

ページをめくると、
カチカチに凍ったサケを
真っ白なヒグマが咥えていたり、
クリスマスのイルミネーションで
飾り付けられた小屋を
ヒグマがすぐそばから見つめていたり、
今まで見たこともないような写真が次々と現れた。
記事を読むと、
撮影されたのはクラクシュという村で、
サケの遡上が冬になっても続くらしい。
ヒグマはそのサケを狙うために冬眠を遅らせ、
気温が−20℃を下回っても川で狩りを続ける。
そのため、水しぶきが毛先で凍りつき
全身がつららで覆われてしまう。
「ヒグマが歩くとシャンデリアを揺らしたような音がする」
という記載もあった。
元々寒さには強いヒグマだが、
それにしてもすごすぎる。
なんとたくましい生命力なのだろう。
僕は以前、
自然番組を制作するディレクターとして
野生動物に関する世界中のネタを漁っていた。
特にクマはお気に入りの動物だったので
力を入れて取材していたが、
それでもまだまだ知らない事象もあるものだと
感心してしまった。
クラクシュ村では、
遥か昔から人間もサケを獲ってきた。
クマは村人が寝静まった夜に出てくるという。
記事の中では
村の古老の談話も紹介されていた。
岸辺に建てられた家で寝ていると
川でクマがサケを捕る音が聞こえるとか、
至近距離にヒグマが現れても
信頼関係が出来上がっているので
全く問題ないとか、
ヒグマと人間との共生が
きちんと成り立っていることが伝わってくる。
昨今、日本で大問題となっている
クマとの軋轢を解消するためのヒントが、
この村にあるように思えた。

興奮冷めやらぬまま師匠のキースの家に戻り、
フリーペーパーを見せる。
すると驚いたことに、
その写真を撮ったカメラマンである
ピーター・マター氏(通称ピート)は、
キースの友人だという。
名前で検索するとすぐにホームページが見つかった。
氷まみれのヒグマ以外にも、
トナカイの大移動や
都市部で生活するキツネなど、
魅力的な写真がたくさん掲載されている。
僕はクラクシュのヒグマに興味がある旨を
記載されているアドレスにメールした。
ピートはすぐに返事をくれ、
当ブログでの写真掲載も快諾してくれた。
(この場を借りて、心より感謝申し上げます)
詳しく聞いてみると、
アイスベアを撮影したのは何年か前で、
サケの遡上がさらに少なくなってきたため
最近はもう見られないとのことだった。
地球温暖化の影響もあるのではないかという。
氷まみれのヒグマがもう見られないことと同様に、
サケが減ってしまったことにも
残念な思いだった。
ユーコンにおいても
空腹のヒグマが問題を起こさないことを
祈るばかりだ。
それでも、
いつかはこのクラクシュ村に行ってみたいものだ、
と思っていたが、
今年のユーコン訪問で
早くも夢が叶ってしまった。
きっかけを作ってくれたのは
ノーザン・タッチョーネ族の
アクジース・ヴァン・カンペン氏だ。
アクジースとは去年の4月、
札幌市の北海道大学で出会った。
20年来の友人である、
文化人類学者の山口未花子教授が開催した
絵画ワークショップの講師だったのだ。
アクジースは考古学と芸術の博士号をもつ研究者であり、
自分でも絵を描いたり
舞踏パフォーマンスを行ったりしているアーティストだ。
僕は妻と一緒に
2日間にわたるワークショップに参加した。
アクジースのレクチャーを聞き、
キャンバスにアクリル絵の具でワタリガラスを描いた。
打ち上げにも参加し
同氏と仲良くなっていた。
今年ユーコンに行くあたり、
アクジースにも会いたいと連絡を取った。
州都であるホワイトホースの博物館を一緒に回ろうとか
色々なアイディアが出る中、
なんと彼の方から
「クラクシュ村に行くのはどうだろう」
と提案してきたのだ。
これには驚いた。
なぜアクジースは
まさに僕が行きたいと思っていた
クラクシュの名を挙げたのだろうか。
いつもながら、
何か不可思議な力に
導かれているように感じた。
アクジースの家からクラクシュまでは
車で2時間半ほど。
道中、彼は
たくさんの興味深い話を聞かせてくれた。
先住民の神話や文化。
彼らがいかに白人から差別を受けたか。
そして、自分自身や親族のことについて。
中でも面白かったのが、
「アクジース」という名前についてだった。
白人の血が入っている彼は
元々はニールという名前だった。
しかし5歳くらいのとき、
遊び回っている自分の姿を見た曽祖母が
「彼はアクジースだ!」と叫んだ。
アクジースは彼女の3番目の夫の名前で、
ニールは間違いなくその生まれ変わりだというのだ。
以来、彼はアクジースと呼ばれるようになった。
彼らは輪廻転生を信じており、
アクジース自身も同様だ。
アクジースとは彼らの部族の言葉で
「太陽が世界を照らすように周囲に吉事をもたらす」
という意味だという。
なんとも素敵な名前を受け継いだものだ。
午前中のうちに家を出たが、
途中で絶景ポイントを何箇所か紹介してもらったり
アクジースの用事を済ませたりしながら
ゆっくりと車を走らせたので、
目的地であるクラクシュ着いたのは
結局午後遅くになってしまった。

初めてこの目で見る、憧れの村。
ヒグマがいつ出てくるか分からないので、
念のためにアクジースから借りた
クマスプレーを装着し、車から降りた。
あたりには
30軒ほどの古めかしい家屋が立っている。
ドアは全て閉ざされ、村には誰もいない。
昔はサケを捕って干し魚にする
漁労活動が盛んだったが、
今は人口が減り
サケの遡上も少なくなったため
夏場の別荘地としてのみの活用がほとんどだそうだ。
村の案内板を見ると、
クラクシュとはクリンギットの言葉で
「コーホーサーモン(ギンザケ)がいる場所」
という意味で、
サケは海岸からはるばる200キロ、
高低差650メートルを旅して
この地にやってくるという。
ギンザケ以外にも
ベニザケやキングサーモンが遡上し、
昔は30ほどの家族が
それぞれ1500匹ものサケを
日本のヤナのような仕掛けで捕獲し、
干し魚にしていたそうだ。
サケはクマにとっても
大切な食糧だ。
人々の生活はヒグマと共にあり、
彼らはヒグマを敵対視せず、
大切にしていた。
日中は人間が作業するが、
日が暮れると川をクマに譲る。
ヒグマたちもそのことを理解していたため、
大きな問題は起きなかったという。
ここでは人間とクマが譲り合い、
きちんとお互いを尊重する関係性が
出来上がっていたのだ。
アクジースが、
この場所に村を築いた先人について、
驚きの伝説を教えてくれた。
どれだけ前のことか
正確には分からないが、
多分数百年前のこと。
川を遡上する大量のサケを見つけ、
ここにフィッシュキャンプを作った人物の名前が
なんと「アクジース」なのだという。
要するにこの場所は、
彼自身が自分の過去生で見つけた、ということだ。
村で語り継がれてきた話は以下の通りだ。
昔、まだ銃がなくて
人々が弓矢で狩りをしていた頃。
アクジースという名の男が、
近くの山でヘラジカに向かって矢を放った。
矢は見事に命中したが、
巨大なヘラジカは
小さなやじりくらいではすぐに絶命しない。
逃げるヘラジカをアクジースは
ひたすら追跡した。
川を渡るヘラジカに続いて
流れに足を踏み入れたアクジースは
そこにたくさんのサケが泳いでいるのを見つけた。
サケの数があまりに多かったため、
アクジースはヘラジカを追うのをやめて
自分の村に戻り、
村人を説得して
その場所に拠点を移したのだという。
この村を築いたアクジースが亡くなった後も
何回かの生まれ変わりがあったようで、
村にはサスクワッチ(ビッグフット)を
銃で仕留めたという
別のアクジースの逸話も残っている。
弓矢ではなく銃が使われているので、
時代が現在に近づいていることが分かる。
昔、輪廻転生は今より厳密で、
ひとつの時代に複数のアクジースが存在することはなかった。
しかし現在は、
アクジースが知る限りで
自分以外に少なくとも二人、
同じ名前の人がいるそうだ。
だから、本当に何世代か前の自分が
クラクシュを見つけたのかは分からない。
しかし初めてクラクシュを訪れた時、
一瞬でこの村が好きになり、
ここにいると妙に気持ちが落ち着くという。

驚愕の話に区切りがついたところで、
僕らは川を見に行った。
一本しかない橋の上から流れを覗いて
僕はまた驚いた。
以前より減っているとはいえ、
そこには何百匹ものサケが泳いでいたのだ。
僕の影に驚いたサケが身を翻すと、
連鎖反応で周囲のサケも勢いよく逃げ始める。
背びれで水面が切り裂かれ、飛沫が上がる。
海から200キロもの距離を遡上してきたサケたち。
基本的には川に入ると何も食べないというが
それでも尚、激しく躍動する力を残している。
あちこちでギラリと光る銀色は
メスが体を横にして
尾びれを小石に叩きつけているから。
産みつけた卵が流されないために
川底に安全な場所を作っているのだ。
その周囲を取り囲む大きな黒い影は、
メスを巡って争うオスたちだ。
全てのサケが、
この世に生まれてきた使命を果たそうと
最後の最後まで闘い抜く。
そこには
なんの迷いも恐怖もない。
メスが小石の隙間に置いた
丸くて小さなタイムカプセルは赤。
そこに命を宿す
オスの強さの象徴は白。
激しくも美しい営みを終えた彼らは
あまりに無造作に自らの命を手放す。
それまで見せていた不屈の精神が
まるで嘘だったかのようだ。
次世代に命を繋ぐことが
生物としての最大のミッションだとしたら、
それを達成した瞬間こそが
生涯における喜びの頂点だ。
彼らには
老衰を嘆き、
死の影に怯えながら暮らす時間などない。
皮膚が擦り切れ、
肉が削がれ、
骨が剥き出しになるのも気にならないほど
最後の最後まで夢中になれることがある。
「余生」という概念が存在しない
サケたちの生き方が、
たまらなく眩しかった。

中洲に打ち上げられたむくろを
ワタリガラスが突いている。
隙を見て
肉のかけらをカササギが失敬しようとする。
その様子を
満腹になったハクトウワシが
上空から悠然と眺めている。
サケの歓喜は、
自身によって味わい尽くされた途端に
他者の至福に取り入れられる。
つい先ほどまで、
ヒレで力強く水をかいていた者が
翼を得て悠然と風に乗っている。
橋を渡ると
対岸に家はなく、
茂みの奥はすぐに河畔林となって山へ続く。
そこには、大きなヒグマの足跡が
いくつもついていた。
川沿いの草がなぎ倒され、
獣道が出来上がっている。
姿こそ見えないが、
そう遠くないところにいるに違いない。
大声をあげて手を叩きながら、
見通しの良い場所だけを選び
ゆっくりと歩いた。
齧られたサケが、
木々の根本に散らばっているのが見える。
感動的な光景だ。
このようにヒグマがサケを森に運ぶことにより、
森は豊かな栄養を得る。
そして生い茂る葉と豊かな実りは
水の流れに運ばれて再び海を肥やす。
サケにとって
ヒグマに食べられることは決して悲劇ではない。
それは自分の子孫への献身であり、
種の繁栄への着実な布石だ。
サケ、クマ、草花や木々。
そのほかの生きものも
それぞれに使命を果たす。
あるものは大地で生まれて水に還り、
またあるものは水で生まれて大地に還る。
どれひとつ欠けてはならない完璧な調和。
変幻自在に姿を変えながら
巡り続ける命。
これこそが、本当の輪廻転生ではないだろうか。

中でもサケが果たす役割は大きい。
水は高いところから低いところにしか
流れることができない。
森がいくら栄養を作ったとしても、
川を流れ海に吸収されるだけで、
上流に還元されることはない。
重力という
地球上の誰もが逃れられない枷。
それを粉砕するのがサケだ。
海の恵みを我が身に宿し、
激流や滝をものともせず、
上へ上へと泳ぎ続ける。
物理の法則に抗い、
不可能を可能にする、
燃え滾る生命エネルギーの塊だ。
未来の地球が健やかであるためには
たくさんのサケが
川を遡らなくてはならない。
そしてその体は、
森へ運ばれなくてはならない。
だからヒグマたちは、
全身を氷に覆われながらも
サケを待ち続けたのかもしれない。
そしてこれは、
サケとヒグマだけの関係性の話ではない。
あらゆる生物種の中で、
特に強い影響力を持ってしまったヒト。
大きな循環を滞りなく維持してゆくのには
僕ら人間の協力も絶対に欠かせない。
色々なご縁に導かれて辿り着いたクラクシュ。
サケという恵みを礎に、
人間とヒグマがお互いを敬い、譲り合う、
美しい関係性が育まれていた奇跡の村。
かつては人で賑わい、
サケで賑わい、
クマで賑わっていたが、
そのどれもが廃れ始め、
沈黙に支配されつつある。
寂れた村は、
僕らがこれから
どう生きてゆかねばならぬのかを問いかける。
太古の昔から連綿と続く、
大地と海との約束を果たすために。

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