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小さき弱き生きもの






今からズーッと昔の地球。

そこにはたくさんの生きものが

生きていました。



あるとき、空からの声で、

地球上のすべての生きものの種が、

ひとつずつ呼ばれて集まりました。

空からの声はこう言いました。



「ここに集いし生きものたちよ、

 よく聴いてほしい。

 今から、地球上で最も弱きものが

 生まれてくる。

 その生きものは、自分だけでは食べるものを

 得ることができない。

 また、自分だけでは、暑い日ざしや冷たい風から、

 身を守ることもできない。

 だから、ここに集いし生きものたちよ、

 どうか、力をかしてやってほしい。

 もしその生きものが、食べるものに困っていたら、

 草や実や動物たちよ、

 どうか、自分のからだを与えてやってほしい。

 もし、その生きものが寒さに震えるときは、

 動物は毛皮に、植物は布に、

 樹木は家になってやってほしい」



そこまで空からの声が話したとき、

一羽の鳥が尋ねました。



「その生きものの名は何というのですか」



空は答えました。



「その弱き者の名は、“人間”」



          出典:【弱虫でいいんだよ】 辻信一著 筑摩書房






いかがだろうか。



北米先住民に伝えられてきたと言われるこの話を、

初めて読んだときの感動は忘れられない。



自然は人間無しでも存続し得るが、逆はあり得ない。

人間が、いかにか弱い存在か。

狩猟をする中で

僕が常々思い知らされてきたのも、

まさにこの感覚だ。



深い雪に足を取られ

多少の坂でも息が上がってしまう僕を尻目に、

鹿たちは颯爽と冬山を駆けてゆく。

人間が鹿より速いのは、

アスファルト舗装路という特殊な状況で

自動車に乗っている時だけだ。



服を剥ぎ取られたら瞬時に凍え死ぬ厳しい寒さを、

熊たちは何ヶ月も絶食したまま乗り切り、

更に雌はその間に子供まで産む。

彼らの膂力は凄まじく、

人間が熊の優位に立てるのは、

銃という文明の利器を携えている時だけ。

しかし初弾で致命傷を負わせない限り

立場は瞬時に逆転し、

組み敷かれて命を失うのはハンターの方だ。



身体能力だけではない。

何時間もじっと動かずにハンターをやり過ごす忍耐力。

深手を負いながらも、決して生きることを諦めない執念。

精神力においても、人間は彼らに遠く及ばない。






ところが、現在の地球では

脆弱なはずの人類が猛威を振るっている。

大量生産、大量消費。

短期的な経済利益の追求に、極端な効率化。

母なる自然を、

自分たちの繁栄や快適性のために搾取し続け、

その欲望は留まるところを知らない。

結果として、多くの野生動物が絶滅に追いやられ、

深刻な気候変動が発生し、

地球全体が激しく喘いでいる。

この星で人間が命を繋いでゆきたいのなら、

僕らは何よりも“謙虚さ”を取り戻さなくてはならない。

人間は決して自然を統治する立場にはなく、

その恵みによって生かされている乳飲み子のようなものなのだと

認識を改めない限り、未来はない。






そう考えている僕は、講演や授業などで

“小さき弱き生きもの”を朗読することが多い。



短くはあるが示唆に富んだこの話は

多くの聴衆の心を一瞬で捉え、

涙する人さえいるほどだ。



講演後にいただく感想でも

「深く考えさせられた」

「自分を顧みるきっかけとなった」

「世界を見る目が変わった」

などと多くの人が書いて下さっている。






ところが、今までで一人だけ、

全く違う所見を述べた少年がいた。



「人間のために命を差し出せなんて。

 動物にしてみたら、たまったもんじゃない」



あまりの正論に、ぐうの音も出なかった。

彼こそが、真に動物や植物の身になって思考できる賢者。

年端も行かぬ少年の言葉に、僕は気付かされた。

まだまだ、自分が人間本位で世界を見ていた、ということを。

謙虚さを取り戻せ、と説いておきながら

どれだけ他の生物に傲慢な負担を強いてきたのかを。



世の中には、嫌なこと、辛いことがたくさんある。

貧困、いじめ、怪我、病気、枚挙にいとまがない。

中でも、最も避けたいのは何か。

それはやはり、自分が殺される、ということではないだろうか。

命を奪われるという一大事に比べれば、

多少の不幸には目を瞑っても良いと思える。

逆に言うと、たとえどんな逆風の中にあろうとも

この命あるだけで幸せだ、と感じられるのは

明日をも知れぬ身となってようやくのこと。

僕らはそこまで追い詰められないと、

意識もせずに自分の心臓が脈打っている奇跡に

目を向けることができないのだ。



自分のことでさえこの有様だ。

他者の命については更に感度が低い。

自らの命を存続させる為、

毎日、当たり前に摂っている食事は

動植物の命から成り立っている。

箸を口に運ぶ度に、

僕らは一体いくつの死を噛み締めているのだろう。

自分としては何としても避けたい死を

膨大な数の他者に強いておきながら、

不味いと言っては顔をしかめ、多すぎると言っては残す。

そんな人間に食べられる為に

大切な命を喜んで差し出すものはいない。

それでも僕らは、

食べ放題の店で必要以上に満腹になりながら

最近太った、と苦笑いして

ダイエットに勤しむのだ。



地球はいつまで

人類の存在を許容してくれるだろうか。

人類が絶滅しても地球は無くならず、

むしろ健全な生態系を取り戻すことになるだろう。

しかし人類絶滅の過程において、

悪あがきをする人間は

幾つもの生物種を道連れにする可能性が高いし、

やはり人類も何かしらのミッションを与えられて

地球上に出現したのだろうから、

本当は程々に繁栄し、

人間のお陰で地球が良くなった、と

動植物たちに感謝されるのが本望だ。






では、か弱い人間は

どのようにこの星の未来に貢献できるのだろう。



僕たちが他の生物より長けている能力は

何なのかを考えてみる。

それは、想像する力と、伝える力だろう。

それが今回、

“小さき弱き生きもの”から改めて学んだことだ。



人間は物語を創り、

感動を分かち合うことができる。

そしてひとつ物語を

色々な人が違う角度から見ることで

多様な学びを得ることができる。

失敗から学び、

同じ愚行を繰り返さないように

戒めあうこともできる筈だ。






“小さき弱き生きもの”の物語は、

新しい気付きと共に、

これからも僕の進むべき道を照らす

大切な物語であり続ける。






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