2021年3月14日
3月14日、といえば一般的にはホワイトデーだろう。
しかし、2020年、去年の3月14日を境に、
私にとっては全く違う意味を持つ、特別な日となった。
欲深さが招いた当然の結果なのか、
山の神のちょっとしたいたずら心なのか。
その日の出来事を、私は天罰だと信じている。
そして何度も何度も思い出し、考えることによって
あれが何を意味していたのか、反芻を続けているのだ。
=3月14日(今年)=
この日は、三週間前に猟にお連れしたAから、
本州から妹Wが遊びに来るので
どうしても猟を体験させたい、
というリクエストを受けていた。
前日のトークライブにお二人ともご参加いただき、
Wの短い北海道旅行は狩猟一色だ。
選んだ猟場は、いつもの日本海沿い。
初めて狩猟を体験する女性にとっては
過酷なルートに設定していた。
Aが前回歩いたルートより格段に厳しい。
しかし私は五日前、そこで大きな雄鹿を撃ち
半矢で逃げ切られていた。
その雄に遭遇できる確率は限りなく低いが、
常に、やれる限りのベストは尽くしたい。
前日のトークライブに徹夜で臨んだ挙句
講演後も飲み続けてしまい、深夜に帰宅。
睡眠時間は4時間。
さすがに辛いが、無理矢理ベッドから体を引き剥がす。
車を走らせている内に空が白む。
いつもなら道沿いに何頭もの鹿を見る時間帯だ。
しかし、一頭も見ない。
今日の鹿の動きを感じ取りたくて
予定していた猟場を過ぎて少し先まで行くが
それでもいない。
今年、この道を走って鹿を見ないのは初めてだ。
急速な雪解けが進んでいて、
鹿はもう海沿いだけに集まっている必要はない。
山奥への移動が始まっているのだろう。
前日の土曜には、
私が所属する狩猟同好会メンバーの手練れ達が
同じエリアに入っているが、誰も獲れていない。
苦戦を覚悟する。
二人分の装備のチェックと手伝いに
少々時間がかかったが、
夜明けの30分後くらいからは歩き始めることができた。
雪がどれだけ溶けているのかイメージできず
最初はスノーシューなしで歩く。
場所によっては腿まで埋まるが、
一段上がった場所まで行けば雪は少ないかもしれないと思い、
そのまま進む。
斜面が開けたところで双眼鏡を出し
丹念にチェックする。
五日前はこの斜面に大きな雄がいて
無理して撃った結果、
前脚だけを損傷させて逃げ切られたのだ。
すると、Aが小さな声を上げた。
指差す先には雌鹿が。
狩猟2回目のAに鹿発見の先を越されたのは悔しいが、
とにかく最初の一頭を目視できたことは大きい。
鹿はまだこちらには気づいていない。
落ち着いて作戦を考え、登った坂を少し下り
目立たないところでスノーシューを履き
可能な限り近づくこととした。
しかし、重く湿ったザラメ雪では
スノーシューの音が大きく響く。
しかも三人分だ。
鹿は案の定逃げて行く。
そのしんがりには巨大な雄の姿があった。
雄と雌が入り混じった
群れの構成には見覚えがある。
もしかしたら、五日前の群れかもしれないな、
とも思う。
雄鹿の足取りは力強く軽やかだ。
もしあの雄だとしたら、怪我は既に癒えているのだろう。
美しい後ろ姿を見送る。
稜線の向こうに消えた群れをどう追うか。
彼らが進むルートを予想する。
後ろから追い続けても、鹿は逃げ続け
平行線を辿るだけだ。
遠回りして隣の稜線を進み、
開けた場所に出た時に遭遇する、というイメージが浮かぶ。
来た道を戻り、別の稜線を登り始めた。
=3月14日(去年)=
丁度1年前の、2000年3月14日。
私は一人で山に入っていた。
狩猟を始め、仕留めた鹿の数は
1年目は10頭、
2年目は9頭。
3年目であるその年は5頭と、どんどん数が減っている。
1、2年目は北海道の師匠や大先輩の
車に乗せていただくことも多く、
自分で獲るというより、獲らせてもらっていた鹿だった。
3年目からは一人で歩く機会が増えた結果、
猟果も大きく減少した。
自分の未熟さ故、仕方ないことではある。
同じように単独忍び猟で鹿を獲っている
私が所属する狩猟同好会のメンバーは、
もっと数を獲っている。
比べるものではないと分かっていても、何か悔しい。
この日も、なんとかして一頭獲りたい、と思っていた。
雪のコンディションは悪く、
スノーシューを履いても深く沈む。
夜明けとともに林道を歩くも
アプローチしやすい場所に鹿の姿はない。
意を決し、スノーシューをアイゼンに履き替え、
険しい稜線に入った。
一番鹿の動きが少ない昼時。
しばらくは鹿には会えないだろうと諦めかけていると、
いきなり遠くに数頭の群れが出た。
一気に気持ちが高揚する。
震える手で慌てて弾を装填する。
私の動きが大きかったのか、群れは逃げ去り、
ピョンピョン跳ねて行く白いお尻を
やっぱり今日もダメか、と自信を喪失しながら見送った。
=3月14日(今年)=
小さな沢を渡り、きつい斜面を登り始める。
Wは球場の生ビール売り子のアルバイトをしていたそうだ。
25キロのサーバーを背負い、
傾斜のあるアルプススタンドをひたすら往復する仕事。
そこで足腰が鍛えられているのか、
小柄な体にもかかわらず、足取りはしっかりしている。
一度狩猟に同行している姉のAも、気丈に付いて来ている。
雪はグサグサで滑り、
地面が露出している場所はぬかるみとなっている。
とにかく転びやすく、全層雪崩の危険性も大きい。
開けた斜面をトラバースする時には、
私が先頭を行き、大きく間隔を開けるようにいう。
万が一私が雪崩を起こして埋まれば
彼女たちに救出してもらわなくてはならない、と説明すると一気に顔が緊張する。
恐る恐る斜面を渡ってくる二人。
後で聞くと
「少なくとも三回は死を覚悟した」
「鹿を獲る、ではなく、生きて帰る、ということに
今日の目標設定を変えた」
などと言っていた。
難所を抜け、再び三人まとまって歩き始める。
振り向くと、銃が怖いのか、距離を開けている。
私の声が聞こえる範囲を歩くように言う。
そして、私の考える次の展開を逐次説明しながら進む。
鹿がいないという前提で、とにかく頑張って登る所、
鹿がすぐ先にいることを想定して静かにゆっくり歩く所、
ペース配分一つをとっても全てに意味がある。
単なる山歩きではない。
鹿と同調しない限り、鹿は獲れない。
読みは当たり、
そっと覗いたブッシュの向こうには
50メートルの至近距離に
鹿の群れがこちらに向かって歩いて来ていた。
しかし、あまりにタイミングが良すぎ、
出会い頭の先頭に逃げられると
全ての鹿が走っていった。
=3月14日(去年)=
私の落胆をよそに、その後も群れは出続けた。
不用意に動いては気付かれる。
高速道路を飛ばし、長距離を歩き、厳しい稜線を登ってきた、
その苦労が一瞬で水の泡となる。
汗が冷えて寒くてたまらないが
じっとしたまま撃てる鹿が現れるのを待つ。
すると、二つ向こうの稜線に三頭の鹿が出た。
スコープの倍率を最大にあげて覗く。
立派な雄だ。
当然、私には気付いていない。
距離計で計測すると、150メートル近く。
それまで私が、当てたことのない距離だ。
しかしどうしても仕留めたい。
時間をかけて体と銃を固定し、
ゆっくりと引き金を引いた。
銃が跳ね上がり、視界が大きくブレる。
再びスコープで覗いた時には
鹿はいなくなっていた。
私の弾は、果たして当たったのだろうか。
=3月14日(今年)=
標高をどんどん上げてゆく。
WもAも弱音は吐かない。
二人ともアイゼンをつけたことで
少しは歩きやすくなったようだ。
私はスパイク付きの長靴なので
なんとかアイゼンなしで登っていく。
遠くに鹿を見つける度に
休憩を兼ねてゆっくり観察する。
これから進む先に同じような環境があれば
鹿は同じような行動をしているかもしれないのだ。
標高300メートルを超えたあたりで
遠くの尾根に巨大な雄を発見する。
毛の色が濃く、ほとんど黒に近い茶色。
大きく張り出した角は彼の強さを物語り、
逃げずに微動だにせずこちらを睨む表情からは
彼の自信が見て取れる。
距離は300メートル以上。
撃つことはできない。
また、厳しい稜線をここまで登った山奥で
あんなに大きな鹿を獲ってしまったら、
帰り道は地獄を見ることになるな、と思う。
しかし射程距離に出たら、やはり撃ってしまうのだろう。
この衝動は、自分ではなかなか止められない。
=3月14日(去年)=
再びアイゼンからスノーシューに履き替える。
鹿が踏み固めている稜線の獣道から外れ、
斜面をトラバースしながら
雄鹿が立っていた場所に向かう。
すると思いもかけず、
目の前の笹薮から鹿の群れが飛び出て来た。
大きな雄を先頭に5、6頭が坂を駆け下りていく。
最後尾の一頭はまだ角が枝分かれしていない一歳の雄。
それが急に立ち止まった。
距離は20メートルほど。
完全に射程距離だ。
再び弾を装填しながら、銃を構える。
しかし、さっき撃った遠い雄を
万が一でも仕留めていたら、
この若鹿を撃ってはならない。
引き金を引いた責任を取るには、
まずは大きな雄が倒れていないかを
確認しにいく必要がある。
撃ちたいという衝動を必死に押え込んで銃を下ろす。
悔しくてたまらない。
皮肉なことに、若鹿は逃げない。
「逃げなさい」と声をかける。
それでも鹿は動こうとしない。
こんなことは初めてだ。
もしかすると、と思う。
この鹿は私に命をくれに来たのではないか。
獲れなくてもひたすら猟場に通い続けた私への、
山の神様からの贈り物なのではないか。
もう一度声をかけるが
若鹿はじっと私を見つめたままだ。
私は肚を決めた。
山神よありがとう、と念じながら引き金を引き、
鹿はその場に倒れた。
=3月14日(今年)=
そろそろ山頂が見えて来た。
標高は380メートル程度。
頂上付近は巨大な雪庇となっていて
踏み抜くと腰まで陥没する。
非常に危険な状態だ。
ちょっとした刺激で雪庇が崩れ始めたら、
一気に斜面全体が雪崩となる危険性もある。
頂上付近に鹿が出ている。
やはり鹿は山奥に多いようだ。
しかし危険を鑑み、そこまでは登らずに
山を回り込んでいくことにした。
尾根をかわしたところで
目の前に群れが出た。
銃を構える間も無く、消えていくのを見守る。
そんな慌てた様子でもないので、
私に驚いて逃げたのか、
単に移動中の群れに少しだけ追いついただけだったのか。
最後尾を歩く鹿がびっこを引いていることに気づく。
一瞬、五日前に逃げ切られた雄鹿か、とも思ったが、
体つきは小さい。
いくつか遠くに群れを見ながら、
そのまま標高を保ち進んでいくと、
藪の中に小さな鹿が立っていた。
この日初めて出会う、撃てる鹿だ。
体の手前には小枝が茂っているが、
私が使っている弾の弾頭は重い。
この距離からなら問題なく体に当たるだろう。
思った通り、鹿はその場に転がり、私は走り始めた。
WもAもまだ私が鹿を仕留めたことは分かっていない。
周囲からは、私が見えていなかった他の鹿が走り出す。
二人はそれらの鹿を、私が走って追いかけていると思ったらしい。
今期生まれのメスの仔鹿。
三月に入っているにしては体がとても小さい。
脂肪も少なく、痩せている。
今年はおしなべて鹿の栄養状態は良いと思っていたのだが
こんな個体もいるのだ、と少し意外に思った。
それにしても、
前回の猟では鹿が獲れなかったため、
このまま獲れない流れに入ってしまったら
どうしようと思っていた。
きちんと鹿の動きを考えながら
険しい山を歩いた結果の捕獲。
私は心の中で快哉を叫んだ。
=3月14日(去年)=
若鹿に止め刺しをして血を抜く。
これで当座の処理は済んだ。
さて、あの大きな雄鹿に弾が当たっていないか
見に行かなくては。
谷を越え、もう一つ奥の稜線を目指す。
近づいていくにつれ、地面に何か赤いものが見える気がした。
双眼鏡で覗いても、木々に隠れてよく見えない。
急坂を笹を掴んでなんとか登り切り、
ようやく稜線に乗ることができた。
すると、そこには、
堂々とした雄鹿が横たわっていた。
私の弾は、一発で鹿を倒していたのだ。
今までで一番遠い鹿に弾を当て、
一日二頭も仕留めることができた。
この年の猟果が5頭から7頭になった。
早く山を降り、同好会の皆に報告したい。
皆驚くに違いない。
思わず顔がにやける。
しかし、2頭分もの肉をどうやって運ぶか。
その頃、肉を引きずる、という発想は私にはなかった。
背負える分だけ背負って帰ろう。
まずは大きな雄の解体を始める。
どう考えても、全ての肉を持ち帰ることはできない。
時間的制約もある。
2体を解体した後、
車まではかなりの長距離を歩かなくてはならない。
急がなくては。
私は、普段やらない、背開きという手段を選んだ。
背中からナイフを入れて、背ロースだけを抜く。
そして、後脚だけを取り外す。
鹿の肉の中で最も人気のあるロースとモモだけをとり、
あとは雪に埋めた。
罪悪感がないわけではない。
しかし、これ以外に方法はないのだ、
仕方がないのだ、と自分に言い聞かせていた。
大きな雄の場合、二本の後脚と二本のロースだけでも
結構な重さになる。
それを背負って、若鹿のところに戻る。
若鹿を、大きな雄と同様背開きにして、
ロースとモモをとる。
可食部分がたくさん残った体を、雪に埋めた。
4本の後脚と4本のロース。
全てを背負子にくくりつけると、
そのままでは全く立ち上がることはできない。
木のそばに背負子を仰向けに置き
自分も仰向けになってショルダーベルトに腕を通す。
次に体を回転させ、
仰向けから、まずはうつ伏せの状態になる。
そして木にしがみつきながら徐々に立ち上がる。
めまいがしそうな重さ。
肩に、腰に、凄まじい重量が食い込む。
ヨロヨロと歩き出す。
帰路は長いがまだ時間はある。
ゆっくりでも少しずつ歩いて行けば
車までたどり着くことはできるだろう。
その時に感じるであろう
充実感と達成感を思い浮かべる。
突き上げるような喜びが、体内を駆け抜ける。
この後、本当の地獄を見ることになるなどとは、つゆ知らずに。
=3月14日(今年)=
止め刺しのナイフを初めて体験するW。
自分ができるかどうか不安だったそうだが、
それより目の前の鹿を早く天に送り、
楽にさせたいという意識が勝ったという。
恐る恐る刺したナイフは深さが足りず、
私が大きく喉を切り裂いた。
姉妹の実家はお寺。
そして妹のWはミッション系の学校を出たクリスチャン。
祈り、という行為が日常に溶け込んでいる。
二人に鹿を看取ってもらいながら
私は木に吊るす解体の準備を進める。
狩猟同行2回目のAは解体に興味があるようで、
前日のトークライブ時にも
私が話す解体の手順をメモしていたという。
前回よりは少し難しい部分も
体験していただいた。
木に吊るし、内臓を抜き、皮をむく。
右の前脚を外している時に、違和感を感じた。
脛が異常に細いのだ。
びっこを引いていた、群れのしんがりは
この子だったに違いない。
他の鹿が素早く身を隠しても
この子だけが目立つところに立っていたのは
思うように動けず
逃げ遅れたからなのかもしれない。
病気なのか、怪我なのか。
自然界では弱い個体は生き残れない。
肉食動物は容赦なく、子供や怪我をした個体を襲う。
今日は私がたまたまその役を負った。
これはある意味、自然の摂理なのだ。
=3月14日(去年)=
ただでさえ足が沈む春の雪。
鹿肉によって体重が一気に数十キロ増え、
スノーシューを履いていても
一歩一歩が深く埋まる。
無理矢理引き抜き、足を踏み出す。
険しい稜線に出ると、
また別の苦労がある。
足場が悪く、バランスを取るのが難しい。
もし転べば、肉が重すぎて起き上がることはできない。
仰向けになってリュックを背負うところから
再び始める必要があり、
ただでさえ消耗している体力が更に消耗する。
絶対に転びたくない、と思いながら
フラフラと歩いていると転びそうになった。
反射的に右足を大きく斜め前に出して
思い切り踏ん張る。
「バチン」という嫌な音がして、
私は膝から崩れ落ちた。
右のふくらはぎに強い痛みを感じる。
肉離れ。
筋肉の一部が負荷に耐えられず断裂したのだ。
生まれて初めての体験だ。
経験がないから分からないが、
自分が相当にまずい状況に追い込まれたことは理解した。
まだ死ぬわけにはいかない。
何としても生きて帰る。
雪の上を何キロ這ってでも。
まずは荷物を軽くしなくてはならない。
命には変えられないと、せっかく獲った肉を全て捨てた。
怪我をした直後は、まだ患部は動く。
つま先の上げ下げはほとんどできないが、
右足全体が全く動かないわけではない。
ここで無理をすれば傷が悪化し、
後遺症が残るかもしれないが、
背に腹は変えられない。
つま先に体重がかかると激痛が走るが
銃を杖にして、なんとか歩き始めた。
奇跡的に携帯の電波が一本だけ立つ。
狩猟同好会のグループラインに、現状とGPSデータを発信する。
再び歩き始めると携帯はすぐに圏外になった。
アイゼンが無いと登れなかったきつい稜線を
左足だけを頼りに降っていく。
一番怖かったのが、左足も肉離れを起こすこと。
両足ともやられたら、さすがに死ぬだろうな、と考えながら
ジリジリと進んでいく。
一番厳しい部分をなんとか乗り切り、林道に出た。
車まではまだまだ距離がある。
気が遠くなりそうになるが、諦めたら終わりだ。
日没直前。
狩猟同好会のHがソリを引いて現れた時の光景は
今でもくっきりと目に浮かぶ。
荷物を全てソリで引いてもらい、
ストックも貸してもらったことで
最後の2キロを乗り切った。
そしてその後の1ヶ月、車椅子と松葉杖の生活を送った。
山神からの
とてつもなく意地悪な、引っ掛け問題。
突然現れた若鹿には
「逃げなさい」
とちゃんと言った。
それでも逃げないので撃った。
しかし私は撃ってはならなかったのだ。
目の前に鹿がいれば当然撃ちたい。
引き金は簡単に落ちる。
溢れる猟欲を
自制心で抑え込むことは本当に困難だ。
狩猟で最も難しいこと。
それは、
鹿を撃つことではなく、
鹿を撃たない、ということなのだ。
=3月14日(今年)=
痩せた仔鹿の肉は、
大きな雄に比べると嘘のように軽い。
WとAの疲労感と安全を考え、
肉は全て私が背負った。
一年前のことを二人に話す。
今日はもう鹿は撃たない、と宣言する。
唯一、五日前に半矢にした雄が目の前に現れない限りは。
その時は確実に仕留め、
一人で何往復してでも全ての肉を下ろすのだ。
いつでも弾を装填できる準備をしたまま、山を降りる。
日没直前、最後の瞬間まで雄鹿のシルエットを求め続けたが
結局奇跡が起きることはなかった。
淡い光に包まれた、美しい世界。
疲れて早く帰りたいという気持ちもありながら、
いつまでもここに居たいという思いもある。
その時が来れば、私は喜んで、ここの住人となろう。
=3月15日(今年)=
仔鹿の前脚が変形していた理由は、
猟の翌日に判明した。
なんと、精肉の時に肘の部分から弾が出てきたのだ。
この仔鹿も、ハンターに半矢にされた鹿だったのだ。
そこからどんな痛みと苦しみに耐えて生きてきたのか。
生まれたばかりの鹿にはあまりに過酷な日々だったはずだ。
そして結局、最期も銃弾に倒れることになる。
それでもこの子は、
生まれて良かった、と思っているのだろうか。
その短い生涯に喜びのときはあったのだろうか。
自分で撃っておきながら
胸が締め付けられそうな気持ちになる。
五日前に仕留め損ねた雄を追い求めた日。
自分が半矢にした鹿は探し出せなかったが、
図らずも他のハンターが半矢にした鹿を
仕留めることとなった。
あまりといえばあまりな偶然。
しかも、私が雄鹿に弾を当てた箇所は前脚で、
仔鹿から弾が出てきたのも前脚だ。
それが何を意味するのか。
一年前に私を弄んだ山神からの
また何か別のメッセージなのか、
あるいは特に意味のない、ただの巡り合わせなのか。
私には未だに、理解できないでいる。
いや、山神の語る言葉は、
そもそも私のようなものには
永遠に理解することなどできないのだろう。
それで、いいのかもしれない。
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