2020年12月1日
事故の翌日。
新たな相棒となったジムニーに荷物を積み込み
決めていた通りに一泊二日の狩りに出た。
目的地はオホーツク海沿岸。
片道280キロ、高速を使っても4時間かかる。
ヒグマが無理となった今
一番獲りたいのは大きなオスジカだ。
札幌から遠く離れてはいるが、
オホーツク海沿岸の鹿は体が大きい。
前回出かけた時は、
札幌近郊では一度も見たこともないような
立派なオスを何頭も見た。
大きなオスジカを撃つことを
敬遠する人は多い。
肉が硬い、
臭みが強い、
というのが主な理由だ。
また、精肉所に持ち込む人にとって
時にメスの倍以上も体重がある巨大オスは
運ぶのが大変すぎるし
買い取ってくれない精肉所も多い。
同じく有害駆除で鹿を撃つ人にとっても
オスもメスも出る金額は同じなので
運搬が困難なオスは旨味がない。
鹿の群れがいたら
多くのハンターは
メスや小さなオスを選ぶ。
しかし私は大きなオスを撃ちたい。
まず、精肉所への持ち込みや
有害駆除はやっていないので、
金銭的な採算は度外視だ。
肉に関して言うと、
オスの肉を臭いと思ったことは
一度もない。
信頼できるハンターの中にも
オスの肉の匂いが気になるという人もいるので、
この辺りは好みの問題かもしれない。
ただ、目隠しをして肉を嗅いだ時に
果たして何人の人がオスメスを
言い当てられるのだろうか、とは思う。
硬さに関しては、
大きなオスの肉は確かに硬いと思う。
しかしその分、味は濃いと感じる。
鶏肉で例えると
ブロイラーと地鶏の差か。
私は地鶏派だ。
捕獲後に十分な熟成期間を設ければ
肉を柔らかくすることもできる。
ということで、
私は大きなオスの肉を
臭いともまずいとも思ったことはなく、
いつも「なんて美味しいのだろう」
と夢中になって食べている。
しかし私にとって
巨大なオスの最大の魅力は味ではない。
その圧倒的な存在感だ。
堂々とした体躯。
太い首に逆立つ
たてがみのような剛毛。
肝の座った目つき。
長く太く伸びた凶暴な角。
斜面を駆け抜ける姿からほとばしる
凄まじいエネルギー。
木々の間にすっくと立つ姿は重厚で、
神々しささえ感じる。
その力をいただき
自分に宿したい、というのが
私が大きなオスを撃つ理由だ。
食べる、ということは
私にとっては
食べられる者の生命力を
我が身に宿すということだ。
諸説あるが、科学的に見ても
人間の細胞は3ヶ月で完全に入れ替わる
とも言われている。
食べたものは吸収され
物理的に私の体を構成していく。
筋肉となり体を動かす。
血となり体を巡る。
脳となって思考や感情を司る。
食べた鹿は
やがて私自身と化すのだ。
筋肉の硬さは
その鹿が強靭であることの証拠だ。
私は強い体を手に入れたい。
だからトレーニングもするし
食べるなら強い肉を食べたい。
2年前に撃った立派なオスは
脊椎を完全に撃ち抜かれながらも
私が容易には登ることのできない
急斜面を何十メートルも登りきり、
尾根筋で息絶えていた。
肉をいただいた時、
味や食感から
何が何でも生き残るのだという
強烈な意志を感じた。
肉には目的意識や意志が込められてると思う。
野生の鹿の筋肉は
栄養価の高いものを食べ
優秀な子孫を残すために
野山を駆け巡るためのものだ。
肉をいただく時にも
そのリアリティを感じる。
サシのたっぷり入った
高級和牛のサーロイン。
確かに脂は乗っている。
柔らかい。
もちろん美味しい。
そうした肉を好むという意見に
異論は全く無い。
しかしその牛が何のために生きたのか、
いくら噛み締めても
メッセージは残念ながら伝わってこない。
どんな命を選択し
自分の血肉とするのか。
そこには単に味や匂い以外の
価値観が存在するはずだ。
再びオホーツクを目指す車中に
話を戻す。
前回は鹿を何頭も見かけた道筋だが
この日は不思議と全く見ない。
午後2時過ぎ、
目的地に到着する少し前。
鹿が動き出してもおかしくない時間だ。
何か予感を感じ、
いつ鹿が出てもいいようにと
銃を準備する。
少しスピードを落として車を走らせていると
視界の端をかすめた黒い影に
体が無意識に反応した。
銃を持って、そろりと車を降り
音を立てないようにドアを閉め
森に入る。
目を皿のようにして見回すが
鹿の姿はない。
見間違いだったのだろうか。
すると、木の陰から
のそりと出てきた。
デケェ…
思わず息を飲む。
目が合う。
ふてぶてしいほどに落ち着いている。
私のことを恐れてはいないようだ。
動けない。
鹿はくるりと踵を返すと
おもむろに走り始めた。
しかし、本気で人間を怖がっている鹿とは
走り方が違う。
これならあまり遠くまで走らず
どこかで止まるはずだと思い、
ゆっくりと追跡を開始する。
木に身を隠し
陰から慎重に鹿が走った方向を覗く。
木から木へと渡り歩きながら
まるで「だるまさんが転んだ」のような
動きを繰り返す。
追いついた。
案の定、そう遠くない
沢の手前で歩みを止め
こちらを見ている。
鹿を刺激しないように
ゆっくりと膝をつき
狙いを定める。
鹿は微動だにしない。
獲れる時は
なぜか色々な好条件が揃う。
引き金を引くと同時に
巨体が崩れ落ちた。
この日出会った、たった一頭を
仕留めることができた。
今まで私が獲った中で最大の鹿。
後日角の長さを測ると
86センチであった。
通常私は鹿を解体する時には
木に吊るのだが、
巨体を支えられる横枝を持つ木が
近くに見当たらないため、
地面で解体を進めた。
日の入りは午後4時前。
汗だくになり、
肉を車に運びきった時には
辺りは急速に暗くなり始めていた。
ジムニーの後部座席を倒した
小さなトランクスペースに
解体道具、肉、角付きの頭蓋骨などを
苦労しながら詰め込んでいく。
最後はヘッドライトをつけての作業だ。
ようやく積み込みが終了し
走り出した途端、
正面の山の端から月が顔を出した。
上り始めの月は
なぜかいつも大きく見えるが、
この日の月は飛び抜けて大きく感じた。
丸い。
そういえば昨日は満月だった。
巨大な鹿の魂が
ゆらゆらと天に昇る。
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