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ゆく川の流れは絶えずして




この日お連れしたのは、

お世話になっているお店のシェフKと、

そのお知り合いで、カフェの料理長を務めるM。



Kの肉の焼き加減はいつも絶妙で、

そのKに、狩猟と解体を体験したい

とお願いされた時には意気に感じた。



Mのカフェには一度しか行ったことはないが、

細部にまで込められたこだわりと

女性ならではの美しい盛り付けが心に残った。



鹿肉を扱うこともあるお二人には

自分たちが扱っている肉がどんなものなのか、

是非、肌で感じていただきたいと思っていた。





いつも入っているコースを歩き始めてすぐ、違和感を感じた。

表面だけが固まっている雪。

踏み抜くとゾンメルスキーであっても大きな音がする。

雪質が変わっているのだ。

遠くの斜面を見ると、至る所で土が露出している。

見慣れた森の景色が微妙に違うのは

積雪量が減っているからだろう。

雪の中から少ししか顔を覗かせていなかった小川が

きちんとした流れとなっている。

季節が変わり始めている。

しかも、急速に。



いつもの場所に鹿の足跡はない。

雪が深い時には

地面の草が露出している場所に鹿が集中するが、

雪解けが始まったことで

分散が始まっているのだろうと推測する。



何か、違う山を歩いているような気分にもなるが

それはこの山に入るのが、今期が初めてだからかもしれない。

四季を通じて知っている山なら

もっとしっくりくるのだろう。





海岸線を攻める予定を急遽変え、

山奥を目指す。

しかしなかなか足跡に当たらず

そろそろ引き返そうかと思い始めた頃、

ようやく新鮮な足跡を見つけた。

追って行くと数はどんどん増えていく。

かなり大きな群れか、あるいは複数の群れがいるようだ。

暗いエゾマツの林の中には縦横無尽の太い獣道。

群れは近いと思われるが、三人で雪を踏み抜く足音は大きい。

「そろそろ出会いそうだけど、すぐに逃げられる気がする」

と伝える。



林を抜けたところで短い口笛が聞こえた。

私より先に鹿を見つけた場合は、

声を上げるのではなく、口笛で合図が約束となっている。

振り向くと、Kが左前方を指差している。

結局私には見つけられなかったが、

しばらくこちらを見ていた後に走り去ったという。

案の定だ。



しかし諦める必要は全くない。

雪の上に残された痕跡は、

その一頭の背後にたくさんの鹿がいることを語っている。



慎重に進んでいると、突然鳴り響く鹿の警戒音。

すぐに膝撃ちの態勢をとる。

藪の中を走る鹿。

次から次へと姿を現し、全部で二十頭ほどだったろうか。

我々に気づいた先頭の鹿は本気で逃げるが、

それにつられて逃げる後続は立ち止まることもよくある。

鹿が走るルートの一点に狙いを定め、

そこで止まってくれ、と祈るが、

誰も立ち止まりはしない。

最後の一頭と思われる鹿が走り去ってから1分以上待ったが、

結局撃てる鹿は現れなかった。



それでもまだ諦めたくはない。

鹿が下った斜面を慎重に降りていくと

ようやくこちらに気づいていない鹿を見つけた。

頭を下げて草を食べている。

しかし遠い。

スコープの倍率を最大値の12倍に上げても

小さくしか見えない。



膝立ちになり、ゆっくりとにじり寄り

またスコープを覗く。





距離は200メートルくらいか。

当てられる距離ではないだろうな、と考えていると、

不意に、狙っている鹿の隣から

ひょいと顔が持ち上がった。

別の鹿に気付かれたのだ。

このままでは逃げられる。

鹿の1メートルほど上を狙い、引き金を引いた。



しかし反応は鈍い。

かすりもしなかった証拠だ。

同時に、何頭もの鹿が動き始めた。

中には、狙った鹿より手前、より近いものもいた。

私の目には見えていなかった。

射撃の腕も、鹿を見つける目も

まだまだ未熟だと落胆する。



弾は当たってはいないと思われるが

当たっていないことをきちんと確かめに行く。

鹿が寝ていた跡をそこかしこに見つける。

日当たりの良い斜面に出て、ゴロゴロしていたのだ。

突然、斜面の陰から群れが走り出した。

数十メートルだけ移動して、様子を見ていたのだろう。

私がその可能性をきちんと意識していれば

こちらを見ている鹿の頭が見えたかもしれない。



今度は猛スピードで逃げ去る群れ。

開けた斜面であることをいいことに

彼らを追ってゾンメルスキーで滑り降りる。

鹿が走り疲れたら、追いつけるかもしれない。

林の中に入り、スピードダウン。

さすがに堂々と追いかけすぎたと肩を落とした瞬間、

沢の中から一頭が飛び出し

あっという間に視界から消える。

そして静寂が訪れた。



山の様相に違和感を感じ、

鹿との接触もちぐはぐのまま。

全ての歯車が微妙にずれたまま

時計の針だけが進んでいく。





一度スタート地点に戻り、

別方向の斜面を登ることにする。

新しい群れを探すのだ。



標高が低い場所には足跡は少ない。

きっともう少し上がれば、と思っていると

雌と子供が入り混じった群れの足跡を見つけた。

蹄を引きずった跡の雪が崩れていない。

これは新しい。



朝にアタックしたエリアでは、

群れは日当たりの良い斜面で休んでいた。

ここでも同じ行動をしているのではないか。

稜線を越えた向こうに

開けた場所があるのは知っていた。

太陽の角度を確認すると

まさにその斜面に陽光が降り注いでいるはずだ。



速度を落として稜線を超える。

目を皿のようにして斜面を見回す。

すると木立の中、幹と幹の間に横長のラインを見つけた。

その幅、柔らかく有機的な質感、鹿だと瞬時に確信した。

距離は50メートルもないだろう。

弾を装填しスコープで覗くと

前脚の付け根もくっきり見えた。

頭と尻は木に隠れている。

バイタル、と呼ばれる心臓や肺の部分だけが

幹と幹の間からのぞいていたのだ。

手前の藪を考えるとしゃがむことはできない。

銃を真正面に向けるため、左のスキーを前に滑らせ

体を斜めにして立射の姿勢をとる。

KとMは後ろで耳を塞いでいることだろう。

息を半分吐いて止める。

轟音がとどろき、鹿が崩れ落ちる。



止め刺しのナイフはMが入れると

二人は事前に決めていた。

あまり色々考えすぎると何もできなくなると考え

敢えて無心でナイフを突き刺したM。

鹿の喉元の柔らかさと、そこに吸い込まれる刃の感触が

心に残ったという。



食材を扱うプロに私が色々教えるのもおこがましいが

少しでも美味しい肉にするための

自分なりのノウハウをお伝えしながら解体を進めた。





晴れ間がのぞく。

太陽光を反射する鹿の瞳は

緑の宝石に姿を変えることを教える。

順番に覗き込んでは歓声をあげる二人。

その向こう広がるのは日本海。

驚いたことに、

いつも荒波が押し寄せ、

鈍い灰色をしていた水面が、

鹿の瞳と同じエメラルドグリーンに輝いているではないか。

この冬、こんな色の日本海を見たことはなかった。

春の兆しは海の中にまで溶け込んでいたのだ。



山も海も、少しずつ姿を変える。

しかし、山が山であること、海が海であること、

その本質は変わらない。

むしろ、四季の移ろいは

山や海が本質を変えないために

必要不可欠なものとも言えるだろう。



少しずつ変化をしながら本質を保つのは生命も同じで、

それは度々、動的平衡という言葉で語られる。

一つ一つの細胞は日々生成され、破棄され続けているが

人の外見はそのスピードでは変化しない。

日々新しい発見があり、古い記憶は消し去られるが

人の性格は変わらない。



私と鹿の関係性で言えば、

私は鹿肉を食べるたびに少しだけ鹿になりながら、

私自身という存在を維持している。



しばし解体の手を止める。

そして、鹿の瞳と同じ色に輝く海を見ながら、

自然の摂理の不思議にため息をついた。



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