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いのちの授業




卒業を四日後に控えたこども達。

東京のとある小学校の六年生に、

いのちについて、食べるということについて、

総合学習の時間で話してほしい、という依頼を受けた。

猟育、ということが大切であると考える私にとっては

大変有難いオファーだ。



担任の庄子寛之先生は、

積極的に授業にオンラインを取り入れられている方。

授業のあり方や教師の仕事術について本を執筆されたり、

雑誌などにも取り上げられたりしている教育界の若きリーダーだ。



北海道在住のハンターである私が

こども達にお話しすることができるのも、

今の時代ならでは。

まずは、殆ど使ったことのないZoomに慣れるため、

東京の親友夫妻とオンライン飲み会をしながら

プレゼン資料を全画面に表示する方法などの

操作の手ほどきをしてもらい、準備を整えた。



話をする対象はまだこどもで、

更に、自然とのふれあいが多くはないであろう東京在住。

前回、ハヤシ商店でのトークライブ用に作った資料には

鹿を解体する過程の写真が多く含まれている。

敢えてそこをしっかりと話そうと思っていたので当然だ。

しかしこどもにはインパクトが強すぎはしないか。

庄子先生にお伺いしたところ、

どんどん見せて構わない、とのことであった。



確かに、私がこどもだった頃のことを思い出すと、

自分を子供扱いする大人は好きではなかった。

ならば大人に話すのと同様、

自分が伝えたいこと、伝えるべきと思っていることを

きちんと話すこととし、

そのために必要な写真も全て使うことにした。



直接顔を見ることもできないので、

少しでもリアリティを感じてもらいたく、

今まで獲った中で一番大きな雄の頭骨標本を

送っておいた。

授業の直前に開梱するとのこと。

こども達が上げるのは歓声なのか悲鳴なのか、

実際のリアクションが見られないのは残念だ。



本番前。

パソコンの前で一人そわそわと落ち着かない。

Zoomを立ち上げ、先生が繋げてくれるのをひたすら待つ。

動作が不調なのではないかと不安になってくる。

突然、画面に教室が現れ、先生の声が聞こえてくる。

そして、1時間の授業を始めた。





こども達には一人一台のタブレット端末が配られている。

マイクは私のみがONとなっている。

子供達のリアクションは、パワーポイント資料の

右端にいくつも並ぶ小さな画面からしか分からない。

質問がある場合は、子供達はチャットに打ち込み、

随時それを拾い上げた先生が自分の音声のみをONにし

私に質問する、というスタイルだ。



聞き手の表情も見えず、声も聞こえない、というのは

心もとないものだ。

いつもは、聞き手が身を乗り出せばその話を深めるし、

飽きていそうであれば軽く流して次に進むのだが、

今回はそうはいかない。



事前に先生から、

「音が聞こえないのでリアクションが薄く感じるかもしませんが、

 いつもこども達はすごい熱量で話を聞いています」

と聞かされていたが、

それを知らなかったら本当に不安になっていたと思う。



途中でパソコンがフリーズし、

一度電源切って立ち上げなおすといったトラブルも起きたが、

なんとか話を進めていく。



繁殖期に、雄の鳴き真似をして

怒った雄をおびき寄せる話をするときには

実際に大音量で鹿笛を吹き、

ナイフをきちんと研ぐという話の時には

前夜に研いだナイフで紙をスパスパ切って見せ、

インディアンの師匠のキースが

ヘラジカの雌の鳴き真似で雄を呼んだ話の時には

キースに教えてもらった通りに雌の鳴き声をあげ、

それに応える雄の声も真似てみせた。






解体の写真を出した時、

手で顔を覆ったり、

後ろを向いたりしている子がいることに気づいた。

それでもちゃんと話すべきことは話した。

皆が食べている、牛や豚や鳥だって、

命を殺めているのは全く一緒なのだから。

そして、顔を覆う、後ろを向く、という気持ちになったことも

忘れないでいてほしいと思う。



1時間というのはあっという間で、

「お話しは尽きないようですがそろそろまとめの話に」と

先生から指示が入る。



食べるとはどういうことか。

命とは何か。

小学生にはまだ難しいかもしれないが、

できるだけ平易な単語を探しながら必死に話す。



最後は、卒業を前にしたこども達に

これからの時代を生きていく上でのメッセージで締めて欲しい

というお題をいただいていた。



私のこれまでの人生を振り返ってみる。

それなりに勉強を頑張り、良い学校に行き、大企業に勤めた。

それはそれで、決して悪くはなかった。

現代の日本の価値観に於いては、羨ましがられることも多い。

しかし世界中を旅する中で徐々に意識は変わり、

キースと出会ったことが決定打となった。

彼が最初に放った言葉が忘れられない。

“Yeah, life is once. You gota do what you wanna do.”

私が本当にしたいこと。

それはインディアンになることだ。

その目標に巡り会えたことが私の幸せであり、

生きる力だ。



社会人になりたての頃。

皆と同じように、アスファルトの道を、

スーツを着て颯爽と歩いていた。

それが私の青春だった。



そして今、私は時に命の危険を感じながら山道を歩き、

朝霧に見惚れ、風に凍え、日差しを喜び、鹿を撃っている。

陳腐な言い方ではあるが、

どれだけ歩いても新たな発見があり、飽きることがない。



山で生きていくには、

これまで必死に積み重ねて来た学歴や年収額は一切関係ない。

問われるのは、観察力、想像力、体力、気力。

根源的な人間としての力だ。

それが面白い。



アスファルトの道を歩いているだけでは気づかないことばかり。

舗装路を外れて山道に入った途端、

道端にたくさんの宝物が落ちていることに気づく。

そして、生きていくということも、きっと同じだ。





皆さん、

人生は宝探し。

毎日ドキドキして、

たくさんの宝物を探し当てられますように。

もしかして、皆さんの内の誰かが

いつか北海道に来て、一緒に山を歩ける日があれば

またたくさんお話ししましょう。



ご卒業、本当におめでとうございます。

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