2020年11月30日
“Life is what happens to you while your busy making other plans.”
訳すと、
「人生とは思い通りにならないもの」
或いは
「人生とは思いがけないことの連続」
といった感じだろうか。
私が大好きなジョンレノンの名曲
”Beautiful Boy”の歌詞の一部であり、
星野道夫が敬愛していた
米軍初女性パイロットにして
女性初の全米自然保護協会会長に就任し
生涯をアラスカの自然保護に捧げた
故シリア・ハンターの座右の銘でもある。
良い意味にも悪い意味にも取れるこの言葉。
ずっと心の片隅に引っかかっていたが、
「そうか、こういうことだったのか」
と腑に落ちる出来事があった。
濃厚なヒグマの痕跡や
更には死骸まで見つけた日の二日後。
私は同じ林道を目指して車を走らせた。
アイヌには「キムンカムイ」
山の神、と崇められるヒグマ。
日本最大の陸上動物にして
生態系の頂点に君臨する生きもの。
私にとっては
「山の王」だ。
その姿を一目見たい。
そしてあわよくば、
その肉をいただきたい。
熊を撃つのは
鹿を撃つのとは
桁違いの危険度だ。
しかし北海道の師匠は
250キロのオスグマを
先週仕留めている。
いつかは自分も、
という夢を断ち切ることはできない。
ヒグマが活発に動き回っている
今がチャンス。
もしかすると今なら
私でも手が届くかもしれない。
狩猟は日の出から日の入りまでと
法律で定められている。
だから獲物に
ハンターのプレッシャーが
最もかかっていないのが
日の出の直後だ。
夜明けと共に林道に入れるよう
私は深夜に家を出発した。
前夜からパラパラと降り始めた雪が
うっすらと積もり、
どの足跡が新鮮なのかすぐ分かる
絶好のコンディションだ、
などと考えながら国道を行く。
日の出の30分前。
木々のシルエットが
うっすらと浮かび立ってくる。
目的地まであと数キロに迫り、
下り坂の緩いカーブに差し掛かった時。
突然、後輪が滑り始めた。
雪道を運転している時には
良くあることだ。
ここでブレーキを踏むのは
かえって危険。
完全にスリップしてしまう。
人によっては逆に
タイヤがしっかりと地面を噛むように
アクセルを踏む人もいるという。
落ち着いて逆ハンドルを切り
前輪を進行方向に向ける。
いわゆるドリフト走行のような状態だ。
しかし後輪は
位置を戻してきた途端に
今後は逆側に振れていく。
慌てて反対側にハンドルを切ると
再び後輪は戻ってくるが
また逆側に振れ、
それを繰り返しているうちに
振れ幅はどんどん大きくなっていく。
突如、車体が完全に回転しだす。
こうなったらもう
完全に制御不能だ。
1.5トンの車体が
凍結したアスファルトに乗った
薄雪の膜の上で浮遊している。
くるくると回る周囲の景色。
「もうダメだ」と
覚悟を決める間もなく、
車はそのまま道から外れ
路肩から転落していく。
何が何だか分からない。
グシャグシャいう音は
車体が凹む音か木々が折れる音か。
私が出来るのは
力一杯ハンドルに手を突っ張り
体をシートに思い切り押し付けることだけ。
路上では横回転しかしていなかったが
坂を落ちると共に縦回転も加わる。
車の動きがどんな状況なのか
全く把握できない。
心拍数が上がる暇もなく
現実味もない。
あまり恐怖感もないままに
「死ぬかもしれないな」と
他人事のように思いながら、
只々、暗い森に飲み込まれていく。
唐突に動きが止まった。
カーステレオから流れてくる
心地良いジャズ。
聴覚が戻ってくる。
森は静かなままだ。
助かった。
と思うと同時に
ようやく緊張感が押し寄せ
体が震え始めた。
運転席を上、助手席を下にして
車は完全に横転していた。
私は半ば宙吊りのような状態だ。
痛みは感じない。
出血はなく、骨も折れていない。
首の鞭打ちもない。
エアバックが開いていないのは
そこまでの衝撃ではなかった
ということなのだろうか。
突然、脳裏に
車が爆発して炎上する
アクション映画のワンシーンが浮かび、
慌ててエンジンを切る。
シートベルトを外そうともがくが
なかなか上手くいかない。
ようやく解除に成功すると共に
ジャリジャリに割れた
助手席側のドアガラスの上に落ちた。
飲みかけのカフェラテがぶち巻かれ
車内には甘い香りが漂っている。
気を落ち着かせ
今からすべきことを考える。
外に脱出したらそこは新雪だ。
まず長靴を探して靴を履き替え
防寒具を着込む。
続いて携帯電話を探す。
画面に一本ヒビが走っているが
機能はしている。
しかも完全に圏外にはなっていない。
胸をなで下ろす。
これで助けが呼べる。
基本的なライフラインは確保できた。
さあ、車から出よう。
上方の運転席のドアを開けようとするが
蝶番部分がダメージを受けたのか
上手く開かない。
ならばフロントガラスを破ろうと
何度も蹴りを入れるが
びくともしない。
私の力では無理なようだ。
再び運転席のドアに挑む。
火事場の馬鹿力とはこういうことか。
ようやく隙間が空き、
更に力を入れて
ドアを跳ね上げる。
落ちてくるドアを片手で支えながら
車体の上に登り
地面に飛び降りる。
脱出成功。
ハリウッド映画のヒーローが
よくやるアレを
自分がやる羽目になるとは
思わなかった。
車は無残な姿となっていた。
フロントバンパーは
少し離れたところに吹き飛んでいる。
40万円で購入した掘り出し物。
4年と少しで6万キロを走った。
何度も何度も猟場を行き来し、
北海道の海岸線を一周する旅にも出た。
雪に埋まったことも一度ではない。
数十メートルの距離を
小さなシャベルで必死に掘って
抜け出した。
洗車は殆どしたことはないが
愛着のある相棒だった。
最期まで私を守ってくれた愛車に
感謝と謝罪の言葉をかける。
少し涙が出た。
国道に出る。
上から眺めると
車は路肩から
距離は10メートル、
高低差は3メートルほど
落下していた。
自分が無事で立っているのが
不思議だ。
警察と保険会社に電話すると
30分ほどで警察が駆けつけ、
更に1時間後にはレッカー車が到着した。
警察官もロードサービスの方も
現場に到着すると同時に
同じリアクションをした。
大破した車と私を交互に見比べる。
そして
「本当に怪我は無いんですか?
骨はどこも折れてないんですか?」
と聞く。
命を失っても
全くおかしくない状況だったのだと
改めて理解する。
パトカーがもう一台来て
警官二人が交通整理をし、
私は車体にワイヤーロープを回したりして
ロードサービスの方を手伝う。
相当苦労したが、
1時間半ほどかけて車は
ようやく路上に出た。
もしあの時、対向車が来ていたら。
もし運転席のドアガラスを
木が突き破ってきたら。
この文章を自分で書くことは無かっただろう。
今までの人生で
何度か生命の危機に晒された事はあるが
今回もなぜか
生き延びることができた。
気づくと、脱出直後に
事故の写真と無事であることの
一報のメールを入れた
北海道の師匠から返信が来ていた。
「山に行くな、という暗示だったのか。
だとしたら、
守られた、ということですね。」
そうだった。
今日は熊を狙いに来たのだ。
もしあのまま無事に猟場に着いていたら。
もし新鮮な熊の足跡を追っていたら。
返り討ちにあって
殺される運命にあったのかもしれない。
たくさんの「もし」で
人生は構成され、
細かく、時に大きく揺れる
綱の上を私たちは渡っているのだ。
雪が勢いを増して来た。
熊はもう冬ごもりに入るだろう。
山の王を獲りたいという
私の今シーズンの夢は弊えた。
この日、
クマも私も
命を落とすことは無かった。
私が生き延びたのか。
或いは何かに生かされたのか。
“Life is what happens to you while your busy making other plans.”
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