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波紋




水面に落ちた小さな一滴。



そのひとしずくは小さくても、

時間をかけてどこまでも広がっていく。

波紋が重っていけば、いつか大きな波にもなるだろう。



そんな未来を予感させてくれた、

素敵な出来事について書きたい。






今期は全身全霊、ヒグマ猟に集中していたため、

長らくエゾシカ猟体験希望者に対応できていなかった。

同行者がいると、人の気配が濃くなり、

熊に気づかれやすくなるし、

何と言っても、引き金を引くときに迷いが生まれる。

自分の命は自分で守るし、最悪の場合諦めもつくが、

襲いかかってくる熊に対し、

同行者の命まで責任を持つ余裕はない。

一瞬の心のブレが事故に繋がる可能性は大きいし、

一片の後悔も残したくなかった。



1月に入りようやく、余裕ができた。

そして、私の狩猟講演会をお聞きいただいて以来、

昨年から熱心にアプローチをしていただいていた

ご夫妻をお連れすることになった。



選んだのは、今期初の、日本海側の猟場だ。

藪が濃く、雪が積もらないと入れない。

そろそろ、いい塩梅になっている頃だろうと思い

猟場の下見を兼ねて歩くこととした。






夜明け前に出発し、色々な注意事項や、

これまでの体験談などを話しながら車を走らせる。

ルアーやテンカラ釣り達人のご夫妻はアウトドア経験も豊富で

必要な装備もきちんと自分で揃えていらっしゃった。

しかも奥様は前日、早朝から夕方まで

一日中スノボをしていたとのこと。

なかなかの強者だ。



鹿多発エリアに入るが、道沿いにあまり姿は見ない。

足跡もそんなに多くはない。

どうしたことか。



最初に入ったポイントは、

今までで一番多くの鹿を仕留めている場所だ。

次々と出会う足跡。

遠くの斜面にも鹿が出ているのが見える。

人間の目につかないギリギリのところまで、

鹿は出てきているのだ。



足跡の一つ一つを解説しながら歩く。

ササの葉に残された食跡。

大きく間隔が空いているのは疾走の証拠。

車で準備をしている時の物音か、

三人で林道を歩く足音か、

我々の存在に気づいて走り去ったのだろう。



苦戦の予感。

普段はすぐに林道から森に切り込んでいくところだが、

中にいる鹿は全て警戒モードに入っているのではないか。

一旦大回りに巻いて、標高を上げてから森に入り、

下りながら鹿を追うことにした。



雪の多い日は、雪が直接当たらない針葉樹帯に入ることが多い。

上の斜面にトドマツの植林地があったはずだ。

そのあたりから攻めよう。

トドマツ林に入った途端に積雪は少ない。

一直線に行儀良く植えられた植林地では、

木の列を越えるごとに奥行きのある展望が開ける。

その一つ一つを慎重に見ながら歩く。

突然、林の奥からバキバキと音が響く。

またしても気配を悟られ、姿を見る前に逃げられた。



その後も苦戦は続き、

結局、鹿をよく見るエリアを一周回っても

撃てる鹿との出会いはなかった。






山を降り、ポイントを変えることとする。

この日本海沿岸で鹿を追ったことのあるポイントは大きく5箇所。

濃淡はあるが、鹿を見なかった場所は1箇所もない。

下見を兼ねた山行なので、今まで一度しか入ったことのない、

一番遠いポイントに行ってみることにした。



太陽が出て、斜面を登り始めると真冬でも暑い。

アウターもフリースも脱ぐ。

足跡は薄い。

大きめの雄が2頭、と踏んだ。

このまま追っても、撃てる可能性は低い。

結局、1時間弱の山登りだけで、深追いせずに降りた。

ご夫妻は何の不平も言わず、ついてきて下さる。



時間的に、次が最後のポイントだ。

去年何度も歩いた場所ではあるが、斜面は厳しい。

ご夫妻は狩猟初体験で、しかも今日3箇所目。

体力も集中力も持つだろうか。

しかし、狩猟を体験したいのなら、

一番可能性が高いところに賭けるのがセオリーだ。



このポイントは最初の直登が厳しい。

そこには枯れたイタドリなどが立ち並び、

静かに歩くことも不可能だ。

しかし一段上がったところにある

開けたポイントには大概鹿がいる。



そこに近付くにつれスピードを落とし、

慎重にアプローチするが、またしても鹿の走り去る足音が響く。

稜線を駆け上がっていく3頭の雄鹿。

スコープにその姿を捉え、フォローしていく。

その斜度を知っている私からみると

驚異的なスピードだ。

その中の一頭が止まった。

惚れ惚れするような、立派な枝振りの角。

奥様のリクエストは大きな雄。

まさに、こいつだ。

「約束はできないが、できるだけ大きな雄を狙ってみましょう」

と答えていた。

急斜面の打ち上げ。

弾道のドロップ率を考えるとどのくらい上を撃てばいいのか。

そして距離もある。

一瞬迷ったが、獲りたい気持ちが勝り、撃った。

轟音に驚いた鹿はそのまま崖を上り切り、尾根を越えていった。

外したのだ。






ここからは引き金を引いた責任を取らなくてはならない。

足跡を追い、稜線を登っていく。

心拍数が一気に上がる。

きつい。

程度の差こそあれ、それは鹿も同じで、

疲れるので無駄に逃げることはしない。

少し離れただけで隠れていることもよくある。

稜線の上まで登り、その向こう側を覗いてみたい。

驚いた顔をしてこちらを見ている鹿の姿を思い浮かべながら

ひたすら登る。



たまにご夫妻を振り返る。

「楽しい?」と聞く。

「楽しいです!」という言葉は

たとえ少々無理があったとしても嬉しいものだ。



ようやく稜線の向こうを覗くが、鹿はいなかった。

苦労が水の泡、とも言えるが、

この厳しい斜面を猛然と駆け上がっていった鹿のパワーを

たっぷりと体感していただいたことは、

心に刻まれる思い出となるだろう。



下から見た稜線の頂上の奥には、

更に長い稜線が続いている。

時間の許す限りそのルートを登る。

すると、一本北側の尾根筋に鹿を見つけた。

一頭見つけるとどんどん見つかる。

「畜生、狙う稜線を一本間違えた」と悔しく思うが

こればかりは歩いてみないと分からない。

私からは全く同じに見える2本の稜線だが、

この日に一方だけに鹿が集中していたのは

鹿の目線でしか分からない、

きちんと理由があるに違いない。



時計を見ると、日没1時間半前。

帰り道の距離、その道中に

多少のトラブルが起きることなどを想定すると

そろそろ山を登るのは限界だ。



「ここからは降りながら鹿を探します」と告げる。

「獲れないのも狩猟」とは説明していたので

覚悟はしていたと思う。

しかし、清々しく頷く表情の影に、一片の落胆の影は存在する。






高い山の上から望む日本海。

そこに太陽が落ち始めている。

何度見ても飽きない絶景だ。

そして本当は太陽が落ちているのではない。

動いているのは我々が乗っている地球の方。

いわば、海の方が太陽に向かって迫り上がっていっているのだ。

一体どんな強大な力が働けば、そんなことが可能なのだろうか。

鹿を追って山に入ると、

自分の力のちっぽけさを体感することばかりだが

それは決してマイナスの感情ではなく、

心を揺さぶられる感動であり、再び山に入る原動力となる。



山を降りながらも、今日の狩りを諦めてはいない。

日の出直後の次に、一番鹿が動くのが日没直前だ。

ここまで登ってきたルートに鹿はいなかった。

ならば少し遠回りでも、違うルートで降りてみようと思い、

稜線の分岐を右に折れてみた。



すると、斜面の遥か下に、またしても雄鹿を見つけた。

こちらに気づいてはいない。

姿を見られないようにリッジを避けて後退し、

屈みながら斜面を降りていく。



ところが、雄鹿にアプローチしようと

しばらく歩いているうちに、今度は突然、雌鹿が現れた。

先ほど見た雄よりは近い。

瞬時に、メスにターゲットを切り替え、バイタルを狙う。



スコープの中の雌鹿が大きく跳ねる。

着弾した証拠だ。

急いで斜面を降りると、少し離れたところで

完全に息絶えていた。

日没ギリギリ。

間に合った。






目を丸くするお二人。

鹿に感謝をする時間をとる。

顔を覗き込む奥様。

胴体を撫でるご主人。

最初のナイフは奥様が入れると、お二人で決めていた。






血抜きの終わった鹿は、

吊り解体ができる横枝のはった木までご主人と運ぶ。



内臓を抜く。

胎児と対面したお二人は、どんな気持ちだったのだろうか。

徐々に日が暮れ、辺りは真っ暗。






全ての作業を終え、ヘッドランプを頼りに車に戻る。

他の友人にも肉を配り、自宅に帰り着いたのは21時を過ぎていた。



後日、お二人からとても丁寧なお礼のメッセージをいただいた。

しかしそれ以上に嬉しかったのが、

お二人が自分たちのSNSでこの日の出来事や

感じたこと、学んだことを発信してくださったことだ。



それぞれの表現で、素直に、実直に。

感動がストレートに伝わる言葉が並んでいた。

持ち帰っていただいた肉がとても綺麗に精肉され、

美味しい料理となり、ご両親が喜ばれたことも知った。



その記事についたたくさんのリアクション。

狩猟を通じ、私がお二人に伝えたこと。

それが波紋となり、限りなく広がっていく。



最初の、そのひとしずく。



それが、私が私である所以であり、

この世に生かされている意味。

そこにこそ、私は自分の命を投じるのだ。



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