2021年2月8日
今回は、飲み会の話から始めよう。
私が所属する狩猟団体では、
鹿肉をどう美味しく調理するか
いつも熱い議論が交わされている。
プロの料理人もいれば、玄人はだしの料理マニアもいて、
難しい専門用語なども飛び交うこともしばしばだ。
その面々で、飲みに行った。
普段から鹿肉を出している、
私が自信を持ってお勧めする
イタリアンバールだ。
お目当ての一つは鹿バーガー。
最近大手ファーストフードチェーンでも
鹿バーガーが出て、注目度も上がっている。
大手チェーンがジビエを扱うというのは、
とてもいいことだと思うが、
そのバーガーは正直普通だった。
(決して不味くはないけれど。)
イタリアンのシェフが本気で作るバーガーが食べたくて
メニューにはないが特別に頼んでおいたのだ。
続いては鹿カツ。
火の通しすぎはNG、低温調理が常識、という鹿肉で
高温の油で揚げるカツはどうなのだろうか、
と思っていたが、こちらは店のメニューにあり、
以前食べたところ驚くほど柔らかく、味も濃かったのだ。
普段からさんざん鹿肉を食べつけている我々だが、
この夜の料理には大満足だった。
鹿バーガーは、まず見た目からしてヤラれた。
タワーのようにそびえる圧倒的なボリューム感。
かぶりつくと、スパイシーな味付けにもかかわらず
鹿肉の風味もきちんと生きている。
鹿カツは安定の柔らかさ。
衣は限りなく薄く軽い。
パリパリと噛み砕いた後に
ジュワッと広がる肉汁の旨さ。
イタリアンならではのミラノ風カツレツの
ノウハウが詰まった一品だ。
料理のことをいくら文章で描写しても意味がない。
ご興味ある方は是非一度、
実際に足を運んでご賞味いただきたい。
その翌朝。
月曜朝5時にそのシェフ、Kが私をピックアップしに来てくれる。
以前から猟に同行したいと行っていただいており、
店の定休日と私が会社を休める日が一致したため、
お連れすることにした。
土日は日本海側の猟場を歩いたため、
この日は太平洋側のポイントを目指した。
車のダッシュボードに表示される外気温は−18℃。
久しぶりの強い冷え込みだ。
明るくなるにつれ、高速道路からも鹿が見えた。
気温が低いわりには、意外に動いている。
そして運転しながらも鹿の姿にきちんと反応しているK。
なかなか目がいい。
高速道路を降りると、夜明けを迎えた。
いつも駐車するスペースまでの道のりに
新しい車の轍はない。
これは、早くも鹿が出る可能性もあるな、
と一旦車を止めてもらい
銃だけをケースから出して準備をしておく。
カーブを抜け、視界が広がった途端、
いきなり堂々とした体躯のオスが3頭、並んでいた。
すぐに車を降り、弾を装填。
銃を構え、引き金を引こうとした
まさにその瞬間に走り出した。
私の指の動きまで完全に見えているのか。
あるいは殺気を敏感に感じ取ったのか。
長い角が揺れ動き、
多く立派な尻が跳ねながら遠くなっていく様を
惚れ惚れとしながら眺める。
あのパワーをいただきたかったが、
今日はKに山を歩いてももらいたかったので、
これはこれで良かったのだ、と気持ちを切り替える。
いつものところに車を停め、
ゆっくりと歩き始める。
気温は低いが快晴なので
動いていれば寒さは感じない。
雪が浅いため、スノーシューも必要ないと判断したが
表面だけ凍りついた雪を、たまに足が突き抜ける。
風がないため、その音が大きく響くのが気になる。
寒くても、少しは風がある状況が、私は好きだ。
足跡の読み方、
天候や風向きから想像できる鹿の今の行動など、
いつも通りに解説をしながら歩いていく。
不意に足を滑らす。
一見滑ることのない雪の上を歩いているように見えて、
実は下はスケートリンクのようなツルツルの氷。
危ない危ない、と足元を見ると
すぐ目の前の鹿の足跡も同じように
踏ん張り損ねて横滑りしていた。
思わずKと目を合わせて笑う。
鹿がズッと体勢を崩し、
また何事も無かったかのように
すまして歩き出す様が目に浮かび
強い親近感を覚えた。
川の対岸、500メートルほど離れた尾根筋に
何か違和感を覚え、双眼鏡でよく見ると
3頭ほどの鹿が出ていた。
少し開けた日当たりの良い場所で、
2頭は頭を下げて地面の草を食べ、
1頭は腹ばいになって休んでいる。
今のタイミングでは、
鹿は日当たりの良い開けた斜面で日向ぼっこをしながら
気が向けば草を食べる、という気分のようだ。
何回か歩いているルートなので、
似たような状況がどこにあるか、
頭の中でシミュレーションを行う。
いくつかのポイントが思い付くが
まず気配が濃厚だと思われるのは、
一番最初の急坂を登りきった辺りだ。
忍び猟で歩くときには、緩急が大事だと思っている。
不用心にガサガサと歩いては鹿に逃げられる。
しかし全ての一歩一歩を細心の注意を払って歩くと
集中力が持たない。
急坂の手前までは、さっさと歩いた。
尾根筋に登る前に、
フリースを脱ぎ、バックパックに括り付ける。
暑くなる前に脱ぎ、寒くなる前に着る。
先手先手の温度管理をしていくと
山歩きは随分快適だ。
完全な臨戦態勢に入った。
下から見上げて、斜面に鹿がいないことは確認済み。
坂を登りきった先に広がる稜線が最初のチェックポイントだ。
木や笹に掴まりながら坂を登り、
身を隠したまま一旦息を整える。
高まる期待。
そっと頭をあげるが、残念、鹿の姿はない。
しかし、目の前にある足跡は極めて新しく見える。
蹄が蹴った雪の粉末が全く崩れていない。
そのまま足音を立てないよう、慎重に足を運ぶ。
すると、30メートルも行かない内に
笹薮から飛び出る小さい茶色い突起を見つけた。
鹿の耳だ。
さっきまではきっと私がイメージしていた場所にいたのだろう。
足音を聞いて、少し奥に入ったのだ。
弾を装填する。
自然界の中では違和感の塊である金属音が響く。
鹿が顔を上げた。
耳に加えて目も見えたが、鼻は依然として背の高い藪の中。
しゃがんて膝撃ちの態勢を取りたいが無理だ。
ギリギリのラインを狙い、立ったまま発砲した。
すごいスピートで藪の中を飛び去る足音。
鹿のいたポイントをチェックするが血痕はない。
斜面を一旦下まで降り、横に伸びる獣道を入念に見るが
それでも血は落ちていない。
外したのだ。
銃の弾は直線的に飛ぶが、やはり微妙に放物線を描く。
私の銃のは100メートルの距離で
ちょうどスコープを覗いた中心に
弾が入るよう調整してある。
狙撃した時、鹿との距離は近く、50メートルを切っていた。
弾は3〜5センチほど、上に着弾するはずだ。
少し下を狙ったつもりだったが、
笹に向かって撃つ形になってしまい、
笹と鹿の境目を狙うように
無意識に修正してしまったような気がする。
弾は鹿の頭上を飛んで行ったのだろう。
私が銃を撃った時、奥の稜線を二頭の鹿が逃げて行ったと
Kが教えてくれた。
私は狙った鹿に集中していて気付かなかった。
Kが生まれて初めて遭遇した発砲シーンの中、
別の稜線の鹿の動きまで見えているとは。
感心した。
多忙な店の中でも、いつも落ち着いた雰囲気のK。
常に冷静に周囲を見る習慣が
鹿を見る目にも通じているのかもしれない。
休憩無しに歩いても
そんなに疲れた様子もない。
聞いてみると、狩猟同行を決めて以来、
自宅から店までの往復4キロを
毎日歩くことにしていたという。
こうしてしっかりと
身も心もチューニングしてきていただけると
こちらも本当に嬉しくなる。
前々日、二往復して鹿二頭を車に運び、
前日には115メートルの崖を降りて鹿を回収、
この日はさすがに足腰に疲れが残っていたが、
Kの期待に応えなくては、と私も気合を入れ直す。
少し風が出てきた。
日当たりが良く、開けた風の当たらない斜面、を
常に探しながら歩き続ける。
フレッシュな足跡が多数ついている尾根筋を見つけ、
初めてのルートを登ってみる。
条件通りの場所はいくつかあったが
その稜線近辺では鹿を見つけることはできなかった。
一旦、来た道を引き返し、当初狙っていたスポットを目指す。
その稜線が見えてくるカーブに差し掛かる。
曲がり角を曲がる瞬間は、一気に視界が開けるため
いつも心が弾む。
ちょうど、東南向きの斜面も見えるはずだ。
その斜面では、まだ自分で
生きた鹿を見たことはないが、
撃たれた鹿が倒れているのを見たことはある。
風は西風。
追い風ではないため、足音も取られにくい。
いつでも撃てるように銃を肩から下ろし、
腕に抱える。
狙っていた尾根の、
最初の東南向きの斜面が見えてくる。
少しずつ、少しずつ。
ジリジリと進む。
そして斜面の右奥に二頭の鹿を見つけた。
頭を下げて草を食べている。
音を立てないように座り、銃を構える。
弾を込めたところで鹿が頭を上げる。
私に気づいたのだ。
しかし、少し遅すぎた。
倒れる鹿。
後ろを振り返り、Kに頷く。
大ぶりのメス。
小型のオスくらいの堂々とした体格だ。
止めのナイフをKに入れてもらう。
横一文字の鹿の瞳孔が
どんどん真円に広がっていく様を二人で看取る。
鹿を木に吊るす準備をする間、
喉に開いた傷口から少しでも血を出すため、
鹿の体を揉んでもらう。
食材になる前の、体の弾力、温度、匂い、
その全てを料理人であるKに感じ取って欲しいのだ。
肛門の結紮、腹を割る時に鹿を仰向けに保つ、など
二人いると解体は本当に楽だ。
時間はまだ早い。
可能な限り綺麗に、丁寧に解体を進める。
普段は包丁を持つ手に
今日は無骨なハンティングナイフを握り、
Kも皮剥ぎなどの作業を手伝ってくれる。
シェフなので当然、
ロース、ヒレ、などの名前や
それがどこの部位かも知っている。
しかしどこは筋膜で覆われ、
どこは骨に癒着しているのか。
筋肉の先端はどの関節に
どこまで入り込んでいるのか、など
細部のディテールは初めて目にする筈だ。
できるだけ詳細に解説しながら
肉を切り分けていく。
解体を全て終え、撤収も済ませた。
Kには、肉を背負うのを手伝ってもらえるよう、
私の背負子を貸していた。
その背負子に、一旦全ての肉をくくりつけて担いでもらう。
肉を食べる、ということの裏に
どれだけの労働が必要なのかを感じてもらうためだ。
おお、と声をあげるK。
言葉少ないながら、感動が伝わってくる。
私のバックパックにも肉を半分移し、帰路につく。
特に休む必要もなさそうだったので、
車までを一気に歩ききった。
今まで厨房で扱ってきた肉の原形を
実際に目の当たりにしたK。
鹿が生きる山がどんな山なのか。
その鹿はどう生きていたのか。
これからは、既に絶品であった料理に、
更にKの体感したストーリーと想いが加わる筈だ。
そんなKの料理を、また食べに行くのが
私の新しい楽しみだ。
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