2020年10月23日
「ボウズは避けたい」
山に入る度にそう思う。
カモ狙いならカモ、
シカ狙いならシカ。
獲物が一頭も獲れないことを
ボウズという。
元々は釣りや商売で使われてきた言葉で、
僧侶に髪の毛がないことから
「毛がない(魚っ気がない)」
「もう毛がない(儲けがない)」
など由来には諸説あるらしい。
釣り人でもハンターでも
誰もが避けたいのがボウズ。
しかし私は、ある工夫を以来、
一度もボウズで山から降りたことがない。
今日は狩猟仲間2名と
朝8時くらいから山に入り、
出てきたのは夕方5時。
歩いた距離、23キロ。
昼前、笹薮の中を登っていくメス鹿を見つけたが
止まることなく尾根を越えていってしまい
それが今日見ることができた
最初で最後の一頭。
発砲はもちろんできなかった。
しかしそれでも、
私は今日も山から獲物を持ち帰った。
それは「ゴミ」だ。
ゴミを私の「獲物」に加えたため、
手ぶらで帰ることがなくなったというわけだ。
今日、3人で拾ったのは空き缶や謎の瓶など。
目についたゴミ全てを持ち帰ることは不可能なので、
出来ることから出来る範囲で。
美しい山にも
必ずゴミは落ちている。
ティッシュや菓子袋、空き缶などは当たり前。
テレビや冷蔵庫、風呂桶なんてものまで見かける。
それを見る度に残念な気持ちになる。
自然の恵みなしには生きていけないのに
なぜ恩を仇で返すのか。
そしてゴミを捨てる人の貧しさを憂う。
自分の部屋や自宅の庭に
ゴミをポイ捨てする人はいない。
もし他人が自宅の庭にゴミを放り込んできたら
誰もが激怒することだろう。
ゴミを捨てる人にとっての「自分の財産」の概念は
自室や自宅の敷地などの数十〜数百平米だけ。
山を、海を、「自分の財産」とは思っていないのだろう。
しかし自然は、皆の財産であり、
ゴミを捨てる人自身の財産でもあるのだ。
自然を自分の財産と捉えた瞬間、
広大な山野、大海原、
地球全体が瞬時に自分の庭となり
無限の豊かさと喜びをもたらしてくれるのに。
早く気づいてほしいものだ。
ゴミを拾うのに狩猟免許は要らない。
人類全てが「ゴミハンター」となることを、
そしていずれはゴミハンターが不要になることを、
切に願うばかりである。
尚、誤解のないように言っておくが、
上記はシカが獲れなかった
負け惜しみなどではない。
決して、
負け惜しみなどでは。。。
グゥォー、ヂクショー!!!
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